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2008年8月

「満州の孤児たちの物語」上演

昨日(8月19日)、横浜みなとみらい小ホールで「満州の星くずと散った子供たち」の上演がありました。主催は「海老名芸術プロジェクト」で、6月22日にすでに海老名市文化会館音楽ホールで第1回の上演が行われています。

「歌と朗読でつづる小さな命のものがたり」と題した公演の原作は、小田原市在住の増田昭一さんの『満州の星くずと散った子供たちの遺書―新京敷島地区難民収容所の孤児たち』(1998年、夢工房刊)で、これまでもこの本に感動した人たちによって、音楽劇や朗読会が何回か開かれてきました。

その物語の中から題材を得て、「正君の辞世の歌」「僕が生まれかわったら―豊くんの手紙」「星たちのきらめき」などを作曲・ソプラノ独唱で甘利真美さんが、「けんちゃん」「一杯のラーメン」「金のひしゃく」の朗読を劇団東演の南保大樹さんが上演しました。

満州の残留邦人の話題は度々新聞・テレビなどのマスコミに取り上げられますが、生きて帰ることのできなかった孤児たちの想いを伝える作品はこれまで多くはありませんでした。増田さんは自らの体験と、ともに難民収容所で暮らした孤児たちの真実の姿を伝えるために10年前に本書を書き上げました。

この日は、満州から引き揚げてきたという多数の体験者や、物語に描かれた満州の孤児たちと同じ年代の子どもたちも多多勢、来場し、熱心に耳を傾けていました。母親と一緒にきたという小学生の女の子は、すでに原作を読んでいると話してくれました。これからの日本を背負う若者世代にも関心を寄せてくれる人たちがいることに力づけられます。

満蒙開拓団として日本から多くの人たちが大陸に送り出されました。敗戦の後に日本軍はその人たちを守ることなく、敗走しました。戦争で父母を失い、孤児となった子どもたちは多数いましたが、一人ひとりが自分の命としっかりと向き合い、他の孤児たちのためにそれぞれできることを献身的やり終えて命を全うしたのです。

増田さんは一人ひとりの孤児たちの悲痛な叫びを伝えなければと、物語を書きました。1925年8月15日で戦争は終わりましたが、その後に中国大陸で起きていた戦争の悲惨をこれからも伝えていきたいと思います。

いま次の作品を編集中です。

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「たまげた」話

今朝の「朝日新聞」朝刊に石牟礼道子さんの「夏に語る」が掲載されていました。

石牟礼さんと言えば「苦海浄土―わが水俣病」がなんといっても代表作。水俣病を起こしたチッソに対する損害賠償請求訴訟で患者側が勝ち、日本の公害問題への国や企業の対応大きな転換点となりました。

その記事の中に「魂消り(驚き)ますね」ということばが使われていました。「たまがり」とルビがふってあります。

新潟県長岡出身の私にとって、このことばは懐かしい方言です。もっとも長岡では「たまげた」と言っていました。ふるさとを離れて40年近いですから、いまこのことばが使われているかどうか分かりません。しかし、こうした方言に漢字を当ててみると、ことば本来の意味が明らかになりますね。

「たまげた」は心底びっくりした時に発したことばでした。日本のことばの底の深さを感じた「語り」でした。

同じ記事の中に「家の造り方もそうですね。・・・縁側がなくなりました」というフレーズがありました。

地域のお年寄りや子ども、近所のみんなが集まり「縁」が育まれていた場所が「縁側」でした。その縁側が日本の家屋からドンドンなくなっていった戦後は、地域のコミュニティーの崩壊の軌跡と同じではないでしょうか。

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女子高校生と「野火」その2

「あっ、すみません」

と書いたところで階下から声がかかった。

昨夜遅くまで飲み食い、話し込んでいた娘たちとその連れ合い、その赤ちゃんがようやく起きだし、遅い朝食の用意ができたのです。慣れないブログを書きかけたまま朝食が終わったら書き足そうと思って一時保存してPCを終えたつもり。ところがブログをひらいて見たらUPされていました!?

で、そのつづき・・・。

大岡昇平さんは『野火』のほかにも『俘虜記』『レイテ戦記』など戦争経験者ならではの戦争文学を書き残しています。日本を代表する文学者の一人だと思います。

この女子学生さんは、どなたかにこの本のことを教えられて、さっそく買いに来たのでしょう。ところが、この書店には『野火』の在庫がなかったようです。店員さんの声が切れ切れに聞こえてきました。

「お待たせしました。『野火』は新潮文庫から出ているんですが、いまは在庫がありません。ご注文になりますか・・・」

女子学生の返事は聞こえませんでしたが、帰りがけに私のところまで来て挨拶してくれました。

「先ほどはすみません。ありがとうございました!」

突然の声にびっくりした私は、「あっ、どうも」と答えるばかり。

終戦記念日の翌日に書店員さんと間違えられはしたものの、女子学生がこれからどのように活字と関わり、読書遍歴を重ねていくのか、陰ながら応援したい気持になりました。地域出版に関わるものとして若い世代に活字文化をしっかりと伝えて行きたいものですね。

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女子高校生と「野火」

今朝は5時半頃に1度目覚めたものの、「クーククックークー」という鳩の鳴き声や小鳥のさえずりを聞きながら2度寝となりました。次に目覚めたのは7時過ぎ。階下に降りて雨戸を開け網戸にすると今朝はなぜかひんやり。温度計は27度でした。どおりで・・・。

昨日の夕方、小田原の書店で高校生と思しき女子学生に声をかけられました。この日は、3週間ほど開催していたブックフェアの最終日。書棚の在庫を確認しながら撤収作業の真っ最中でした。書店員と間違えられたんですね。

「すみません、作者名は分からないんですが、『野火』という本はありませんか?」

『野火』と言えば大岡昇平。若かりし頃に読んだ覚えのある本です。

「その作者は大岡昇平さんですね。いい本ですよ。是非読んでください。在庫があるかどうかお店の人に聞いてみましょう」

と書店さんに引き継ぎました。

「あっ、済みません」

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ブログ始めます!

5時過ぎに眼が覚めました。雨戸を開けると東の空に朝焼け。朝から気温は30度を越え、間もなくセミがミーミー、シャーシャーと鳴き始めました。あちらこちらから一斉に鳴き競い、いのち短いセミの合唱が・・・。音叉のように重なり合った響きが、一瞬静まりかえるときもあります。

敗戦から63年を経た翌日、初めてのブログを書いています。

丹沢山ろくから日々の出来事や、交友録、本づくりのあれこれを書こうと思います。

どうぞよろしくお願いします。

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