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2008年9月

たばこ祭りに苅谷俊介さんのトーク

9月27日、28日は、第61回秦野たばこ祭。こちらに越してきた当初は、もの珍しさもあって2人の子どもと一緒に2回ほど水無川沿いの会場に出かけたものです。それ以降は、我が家の2階の窓に腰掛けて浅間山から上がる花火を見るのを恒例にしていました。

今年は20年ぶりにそのたばこ祭の賑わいを連れ合いと一緒に見に行くことにしました。最初にショッピングセンターとなりの本町公民館で俳優の苅谷俊介さんの講演会です。祭に協賛した講演会は来場者で溢れていました。私たちは会場の後ろで立ち見です。

数年前から丹沢山ろくに移り住んでいる苅谷さんとは、NHKテレビの生放送でご一緒したことがあります。丹沢ドン会の復元した棚田で、一緒に田植えをやり、その模様を首都圏に紹介していただきました。

市井の考古学者でもある苅谷さん、この日のテーマは「秦野の田舎暮らし」でした。「現代に伝わるさまざまな遺跡や遺物の奥にひそむ人びとの生活や人間の心を探るのが私の考古学です」という話しが印象的でした。

普段は本町四ツ角周辺といっても人通りはそんなになく、シャッター通りとも、マンション通りとも揶揄されるところです。ところがこの日はどこからこんなに人が湧いてくるのだろうかというほどの人です。

かつて十日市場として栄えた本町四ツ角周辺は、歩行者天国になり、屋台や大道芸に群がる人でいっぱいです。路地に入ると身動きできないぐらいの込みようです。

水無川沿いの小学校や市役所の駐車場では、テントを張って子供向けのイベントや舞台をしつらえてのコンサートの真っ最中。美味しい焼き鳥屋さんを求めて歩きましたが、目当てのものは残念ながら御礼完売。秦野名産の「うでピー」(茹でた落花生)を買い求めました。

夜は、2人の娘夫婦と私たち2人で宴会に。もうすぐ10か月になる初孫も一緒に花火観戦となりました。ふるさと長岡の三尺玉には遠く及びませんが、こうして子どもから孫へと祭や花火の共通体験が伝わっていくのですね。

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小田原市国府津の別荘を見学

「市民が創る秦野のまち」という市民グループがあります。近代たてものや街の中にひそんでいる市民の宝物を再発見し、まちづくりに生かそうというNPO活動を行っています。1999年4月の発足ですから活動は10年目に入りました。

もともと秦野市尾尻にあった明治末に建てられた旧梅原家洋館の保存運動の延長線でこのグループは結成されました。その梅原家の洋館は、紆余曲折を経て現在市内の小学校の空き教室に部材が保管され、再建の時を待っています。

グループの1人である建築家から声が掛かりました。国府津にある諸戸別荘を見学できるというのです。メンバー5人と建築史家、地元の奥津さんとその友人の計8人で現地に向かいました。

「森林王」と呼ばれた初代諸戸清六は、大隈重信とも親交がありました。丹沢山地にも林地があり、植林ための苗木は当時の二宮―秦野を結んでいた軽便鉄道で運んだと言われています。

その諸戸家の別荘が国府津に現存します。初代清六の二男・精太が父が植林した木を利用して大正6年に建てたものです。親交の厚かった大隈重信や森村市左衛門の別荘が当時並んで建っていましたが、それを超えてはいけないと、華美を廃した質素なたたずまいです。

国府津の別荘については、夢工房の『徳川慶喜公の散歩道―別荘の街・国府津の人模様―』(奥津弘高著)に詳しく書いてあります。興味のある方は夢工房のホームページwww.yumekoubou-t.comをご覧下さい。

国府津の丘陵の中腹にある諸戸別荘からは、相模湾が一望できます。かつては管理人が常駐して手入れが行き届いていましたが、現在は草茫茫で、藪蚊が容赦なく襲い掛かります。丹沢寺山にある諸戸林業の社員が案内をしてくれました。

別荘の屋根裏にはハクビシンが棲んでいるようで、活用されていない建物はどんどん劣化していきます。小田原市でも年に何回かは見学会を行っているようですが、空気が通わない建物の現状は見るも無残です。

諸戸別荘の隣りに建つ森村別荘は現在陶芸家の鈴木三成さんが住宅兼作品展示場として活用しています。先代からのお付き合いだという奥津さんの案内で帰りにそこも立ち寄り、お茶を呼ばれました。仕事を切り上げた三成さんも顔を見せられ建物の中を少し案内してくれました。

活用されている建物と空気の通わない建物を比較できた見学会。案内してくれた奥津さんの夢は「別荘村を創ってまちづくりに生かしたい」というものでした。

尾尻(旧梅原家)の洋館の再建のためにみんなで知恵を絞り、市民トラストの運動を始める準備をしています。今後の動きは改めて紹介します。

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昼間っからヒルに食われる!

ドン会は米づくりの他にもさまざまな活動を行っています。今日は里山の管理作業です。雑木林の下草刈りや間伐など、里山もフィールドの一つです。この作業は本来は「寒仕事」と言って地元の農林業の人たちは冬場に行います。

ドン会の里山の管理地は、名古木の棚田から車で15分ほどのところ。軽トラックに草払い機を載せ、乗用車をもう一台出して4人が分乗しました。ドン会の管理地へ行く作業道の草を刈ろうと声が掛かりました。3月以来ここには来ていませんでしたが、作業道には草や笹があっという間に茂りました。

4人で1時間ほどの作業です。晴天の昼間、いい汗を流しました。作業を終え、一息つきながら、先日研修会に参加した1人が草払い機の能書きを話し始めました。ふと向かいの1人の足を見ると、ひざ小僧の下に黒いものが・・・。

「おい、それ何!」と私。

「ええっ、ヒルだ!」

他の3人は、長袖、長ズボン、帽子、首にはタオルを巻くという重装備でしたが、夏のような陽気のこの日、HさんはTシャツに半ズボン、長靴といういでたちでした。

無理やり引き剥がしたヒルをHさんは石の上で潰しました。4人は、お互いの首筋にヒルが付いていないか確認し合い、それぞれの服をパタパタと払いました。

いつ食いついたかも分からないのです。痛くもかゆくもないまま、作業を終えて靴をぬいだら血がべっとり、という話をよく聞きました。不幸中の幸いで、今回はまだそんなに時間はたっていなかったようです。それでも血がジワッと出始めました。

丹沢では、山の奥から鹿がヒルを連れてきたと言われています。人の手が入らなくなった里山は荒れ放題。そのジメジメした藪の中でヒルは繁殖しているのです。丹沢山ろくに限らず、全国の里地・里山も同じような問題を抱えているのでしょう。

私たちNPO(特定非営利活動)は、行政・地権者との3者による協定を結んでこの活動を行っています。荒れ放題の雑木林に光を入れ、自然の循環が途絶えないようにすることで、少しでも地域が元気になるように! との思いです。

ヒルごときに怯んではいられませんが、この時期のヒルにはご用心!

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「無名人からの伝言」出版記念会

9月21日の日曜日は、朝からあいにくの雨。この日は3つのイベントが重なってしまいました。1つは、小田原「米橋」料理店の常連客の一人が主宰する手づくり和紙(竹)の工房訪問。残念ながら、またの機会にと不参加をFAXしました。

2つは、牧野信一の朗読会です。小田原は、明治以降さまざまな文人たちが生まれ、住み、創作活動を展開した文人ゆかりの地です。牧野信一については、これまでに「牧野信一と小田原」「牧野信一の文学―その「人と作品」の資料的考察」<上・下>「牧野信一と四人の作家」という3点を夢工房から発行しています。主催する小田原市郷土文化館からのお声がかりです。

この会は「牧野信一作品朗読会in板橋」と銘打ち、第1回は今年の7月に秋葉山量覚院の本堂で開催されました。今回は「ゼーロン」という作品を俳優の蔀(しとみ)英治さんが朗読、牧野信一研究の柳沢孝子さんが解説です。午後からの朗読会には参加できませんでしたが、販売用の書籍を会場の小田原・板橋まで届けました。

3つが、「無名人からの伝言―大利根用水に賭けた野口初太郎不屈の人生」(9月1日、夢工房刊)の出版記念会です。会場である鎌倉駅近くの「ジャックと豆の木」という民間のコミュニティー・ホールには40名ほどの著者の関係者が集まりました。

著者の野口稔さんは、この7月に共同通信社を定年退職したジャーナリストであり、北鎌倉湧水ネットワークの代表です。野口さんのふるさとである千葉県東庄町は利根川流域の肥沃な穀倉地帯です。かつては水不足で悩まされた北総地域。干潟八万石に命の水を引き込んだ立役者・野口初太郎の類いまれな挑戦を血縁の著者が「無名人からの伝言」としてまとめたものです。

30分ほど遅れて会場に着くと、テーブルには所狭しと料理と酒。立錐の余地もない会場は知り合いの知り合いは旧知の友、とばかりに懇談の花が咲いていました。しばらくして一言メッセージが始まりました。

地域のまちづくりの仲間たち、マスコミ関係者や職場の同僚・後輩、野口さんの幅広い交友関係がしのばれます。十数人の後に突然私の番が回ってきました。世の中を変えるのは、一人ひとりの無名人。「大利根用水に命を賭けた初太郎のDNAを野口さんはしっかりと受け継いでいます。この本を広めて、日本の食糧自給率を上げる一つのきっかけになれば・・・」と話しました。

感謝・激励・期待・・・など、それぞれの一言メッセージを神妙に聞いていた野口さん、自身をめぐるネットワークの広さと深さに感無量のようでした。想いも新たにこの本を多くの人に届けたいと思いました。

この後は楽しいコンサートになりました。たこ焼きドラマーこと「みえっぴー」さん、まちの音楽家・木谷正道さん、ギターの矢野さんを引き連れたシンガー・ソングライターの盧佳世さん。友情出演の3人は、それぞれの持ち歌をしっとりと聴かせ、最後は全員手をつないでの大合唱となりました。

ふるさとの郷土史家・飯田さんから提供していただいた「干潟八万石」の米1キロのお土産付き。参加者は「無名人からの伝言」を熟読し、美味しいご飯をそれぞれの家庭で味わったことでしょう。

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タカの渡り、棚田の稲刈り、新米食べました!

日本列島を太平洋岸に沿うように進んできた今回の台風。東海・関東に近づいてからは速度を早め房総沖に抜けました。20日(土)の朝は雲の間から青空が見え隠れし、ピンポイントのように自然塾丹沢ドン会の稲刈り日和になりました。

1歳半の子どもから70代のシニアまで、自然塾の塾生40数家族と丹沢ドン会のメンバー総勢70名余りが9時過ぎから三々五々丹沢山ろくの棚田に集まってきました。昨夜までの雨風は、雲のかなたに去り、空には10数羽のサシバが舞っています。

タカの一種であるサシバは、この時期、北の国から南の国へ渡ります。その飛行ルートの一つが丹沢山ろくの里山・名古木の上空になっているのでしょう。海風に乗ったサシバは、タカ柱を描きながら空高く舞い上がり、西の空へと滑っていきました。

理事長の工藤さん、米づくり担当の金田さんの話の後、手に手にノコギリ鎌を持って塾生たちは棚田に入りました。初めての稲刈りの人は、なれた手つきのとなりの人の所作を見習います。稲を刈る人、束ねる人、それぞれが自然と役割分担して作業を進めます。10時から始まった作業は、途中1時間半ほどで小休止を入れ、12時半まで続きました。ここまででおよそ半分の仕事を終え、昼食です。

1週間前に収穫した米は26キロ、それを乾燥すると22キロ、さらに精米すると16キロになりました。その新米を釜で炊き、大鍋でトン汁をドン会の女性陣が用意してくれました。ご飯はあっという間に釜の底をつき、大鍋にはお代わりをよそう人が入れ替わり立ち代り。こちらもたちまち無くなりました。新米ご飯の味は格別!

稲穂の匂いが漂う棚田の広場でワイワイガヤガヤ、40分も立つとそろそろと午後の仕事に取り掛かる人が出てきました。それにつられるように塾生たちも自然と棚田に向かいます。あくまで稲刈りや自然体験がやりたくて集まってきた人たちです。一人ひとりの作業に取り組む姿勢が違います。

ドン会の作業の段取りも長年の経験からスムーズです。まず一斉に広い棚田の稲を刈ります。そこに隣の竹林の間伐した竹ではざを組みます。次の棚田で稲を刈る人、できたハザに稲を掛ける人。お互いに声を掛け合って次々と作業をこなしていきます。

午後4時には3.5反の棚田の稲刈り、ハザ掛け作業がすべて終了しました。ハザの上部には雨よけのビニールを被い、天日干しのハザの周囲にはイノシシよけのネットをめぐらしました。2週間後には脱穀作業があります。

久しぶりの肉体作業。肉体派宣言をしているドン会のメンバーにとってもこの日の作業はハードでした。心地良い疲労感。満足そうな塾生たちには新米300グラムのお土産つき。それぞれの家庭で新米を炊く姿が想像できました。

今年の米の出来具合は昨年よりも良さそう。11月下旬に行われる収穫祭には塾生やドン会メンバーに2~3キロの米の分配ができそうです。自然の恵みに感謝です。

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クラクションが苦手です

クラクションは、私にはあまり縁がありませんでした。クラクションを鳴らす手加減が分からないのです。連れ合いが助手席にいるときに、前後に誰もいない田舎道で、「練習してみたら」と言われて、何度か鳴らしてみたこともあったのですが、思い切り大きすぎたり、音無しだったりで、クラクションを鳴らすのは私、苦手です。もちろん鳴らされるのはもっと苦手ですが・・・。しかし、立て続けにクラクションを鳴らす機会がありました。その顛末・・・。

ある土曜日の午前、私はプリウスを駆って隣町に向かっていました。国道の渋滞を避けようと抜け道の路地を走っていたのです。前方で軽自動車が左方より進入し、私の前を走行しはじめました。まもなく運転席の窓が開き、右手がニューッと出ました。手にはビニール袋が。するといきなりそのビニール袋をポイと捨てるではありませんか! 

私は思はずクラクションを2回鳴らしました。しかし、車は何食わぬふうにそのまま走り続けています。すこし近づいてバックミラー越しにその運転者を見れば若い女性です。

私の鳴らしたクラクションが本人に伝わったのかどうか確認する術はありませんが、公道をゴミ捨て場と勘違いしている「いま時の若い女性」が将来、母となり子どもを育てるときにどのような躾をわが子にするのだろうかと心が寒々としました。

クラクションその2。日曜日の群馬県境の坂道での出来事。

高速道路のインターを降り、私の車は目的地へ向かって順調に走っていました。突然、渋滞に巻き込まれました。のろのろと走行する車の列。しばらくすると、業を煮やした車が違う道に迂回しようというのでしょう、反対車線にUターンし始めました。私の前の車が間を置いて2台、3台といなくなりました。

すると、スカイラインGTRが私の車の前に現われました。スカイラインと言えば、自動車の保険業界では曰く付きの車種だということを聞いたことがあります。助手席の連れ合いと、GTRと私の車の間に「他の車が入って来ないかな」と話していました。いやな予感が・・・。

突然、GTRが音も無く下がってきました。ブレーキ灯も光りません。「おい、おい、おい!」とクラクションを3回鳴らしました。車間距離を4~5メートルとっていたのですが、なす術もなく衝突しました。いくら気をつけていても、あり得ないことが起こったのです。

車から降りてきたのは、30前後の男性。私の車に近寄り「すみません! 私がミスをしました」と頭を下げました。サイドブレーキを引いて車をその場に止め、私も車を降りて前部を確認しました。ナンバープレートとバンパーがグニャッとなっています。

携帯で警察に電話をかけてもらい、路側帯に車を寄せ待ちました。免許証、名前・住所・電話番号の確認、勤め先の住所・電話番号を聞きました。「保険で全額修理費を支払います」とすっかり恐縮しています。助手席にいた女性が外に出てくると、「中で待っていて」と話しかけています。

1時間ほどで警察がやってきました。「警察は事故証明を出すだけ。後は当事者同士で話し合ってください」と言うばかりです。

その後の保険会社との連絡、保険会社からの確認の連絡、修理工場の手配も済み、ひと段落。警察の調べに対しても「坂道発進に失敗しました」と全面的に自分の非を認め、その後の対応にも、「いまどきの若者」とは違う誠意を感じることができました。

2度にわたるクラクション。その手加減を実地に試すことはできましたが、3度目は鳴らしたくないものですね。

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「ピンポンパンポ~ン!」の効用

「ピンポンパンポ~ン! こちらは〇〇市役所です・・・」と始まる、防災用の市民への屋外放送が私の住む丹沢山ろくにはあります。先日も、防災訓練が市内各所で行われましたが、市長による「訓練です!・・・」という聞き覚えのある声が秋空にこだましました。

この全市民向けの屋外放送は、本来、緊急時や災害時用の市民への情報伝達のために設けられたものです。地球温暖化の影響を受けたゲリラ的な集中豪雨などの緊急時における一般市民への避難の誘導や情報周知が遅かったり、全くなされなかったりという報道が目に付きます。みなさんの地域にはこのような屋外放送はあるのでしょうか。

地震や豪雨など自然災害がいつ身近なところで起きてもおかしくない今の時代。このような市民への情報伝達の手段の有無や、その仕組みがあったとしても、いざという時に十分に機能するかどうかは、市民の生命・財産を守るという行政の大きな役割の一つだと思います。

今朝もこの「ピンポンパンポ~ン!・・・」という屋外放送がありました。「こちらは〇〇市役所です。行方不明の〇〇さんは、無事見つかりました。ご協力ありがとうございました」というものです。昨夜の「行方不明の〇〇さんに心当たりのある方は、市役所か警察にご連絡ください」という屋外放送の効果がさっそく出ました。

地域に起こるさまざまな出来事、徘徊する熟年者や、遊びに出たまま帰らない子どもたちなど。思いもかけない出来事に、どのように臨機に対応するか、地域の行政と一人ひとりの市民の日ごろの取り組みにかかっています。

登下校の子どもたちの安全・安心のために熟年者による「見守り隊」が朝晩の通学路に出ています。小さなことでも世の中や社会のためになる何かがあるのでしょう。わずかな時間をそのために一人ひとりが使うことが当たり前の世の中は、暮らしやすい地域社会でもあります。

「ピンポンパンポ~ン!」は、そのシステムがいざという時に機能するための日ごろの取り組みの一つであるとすれば、少々のスピーカーの音量は、丹沢山ろくを吹き渡る秋風(?)とも感じることができるのではないでしょうか。

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大山の麓でそばの土寄せに汗をかく

久しぶりに自然塾丹沢ドン会の活動に参加しました。この日は朝から残暑厳しく、日焼け止めクリームを顔に塗り、帽子をかぶって長袖のシャツという物々しいいでたちです。

雨降り山の異名を持つ大山の麓、伊勢原市の雨岳文庫の山口さんの近くの畑はおよそ1反。「丹沢自然塾」の塾生とドン会メンバー20名余りがいい汗をかきました。リタイア後の熟年世代から若者ご夫婦と1歳の子どもまで、幅広い年齢層が参加しています。

8月下旬に蒔いたそばの種は2週間で10センチほどに成長します。ついつい多く蒔きすぎたそばは、まず「おろ抜き」という間引きの作業をやります。さらに伸びた茎が台風などにより倒れないように両側に土を寄せます。これが土寄せ作業です。炎天下、各自は休み休み汗を流しました。おろ抜いたそばは、各自が家に持ち帰り、おひたしにします。

作業の後には、雨岳文庫の山口さんご夫妻による秋の味覚のおもてなしがありました。屋敷のクリ畑のクリを茹で、ナシをむき、畑で取れたナスやフキ、キャラブキを煮しめたもの。さらに朝どりキュウリのヌカ漬けが・・・。酒のつまみに絶好の品々ですが今日は車での移動、冷えたビールはお預けです。

雨岳文庫は、江戸末に建てられた古民家です。国の登録指定文化財になっている建物の中は夏でも風が通り涼しく、日本家屋のよさを今に伝えています。40センチ以上の胴回りの大黒柱や太い梁、どっしりとした心安らぐこの空間を活用させていただいてもう5~6年立ちます。

ドン会の活動がここまで広がってきたのは、地域で支えていただく山口さんのような方々に出会えたからですね。感謝感謝の気持をどう伝えたらよいのでしょう。

雨岳文庫の作業のあと、秦野市名古木の復元した棚田に立ち寄りました。稲は黄金色に色づき始め、頭を垂れています。先般の大雨で、棚田の畦が一部崩れました。棚田の中ほどにはイノシシの「ぬた場」もできています。生き物たちと共生する食べ物づくりをNPO法人自然塾丹沢ドン会は目指しています。自然と人のいい関係はどうしたら作れるのでしょうか。これからも試行錯誤が続きます。

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元気印の地域出版の仲間たち

先日、東京・神楽坂近くの地方・小出版流通センターで、地域出版の仲間たちが集まり、秋のイベントの打合せをしました。この集まりは「首都圏出版人懇談会」といい、その役員会が開かれました。私は事務局を担当しています。

例年、秋の読書週間にあわせて、本の街「神保町」では、ブックフェスティバルが開催されます。回を重ねること18回。今年は11月1日~3日の3日間です。200台ものワゴンがすずらん通りとさくら通りに並べられ、ところ狭しと各社の出版物が店頭販売されます。このフェアばかりは、出版不況の影もありません。

この期間は、「ちょっと汚れていますが 本の得々市」と銘打って、「定価の7掛け、5掛け、夕闇迫る頃にはさらに割引!」という本好きにとってはまたとないブック・フェアなのです。

首都圏懇談会の17の加盟社が持ち寄る本は、人文書・歴史・ガイドブック・絵本などさまざま。地域の本を手に入れるまたとない機会ということで、毎年顔をお見せになる常連さんもいます。版元の編集者にとっても、直接読者のみなさんとふれ合えるいい機会でもあります。文化の秋の一日、ぶらりと本の街にお出かけになりませんか。

この日の打ち合わせは、もう一つ。新宿ジュンク堂のイベント企画の検討です。11月中旬の土曜の午後、トークの会「著者が語る地域・地方出版いま」(仮題)を開催するために準備を始めました。具体的な内容が決まりましたら改めてご紹介します。こちらもお楽しみに。

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