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「協働」という言葉を最初に使った秦野市

10月29日(水)は、午前中に伊勢原の小林さんに『美しい比々多村の詩』のカバー用の絵を持ってきていただきました。お茶を飲みながら小林さんの話をお聞きしました。

「美術大学進学希望の高校生たちと一緒に定年退職後にデッサン教室に通った後、20年余りも油絵を描きつづけています。デッサン教室では、高校生たちとは別枠で裸婦のデッサンもやりました。今はもっぱら風景を描いています」

1週間かけて出来上がった持参の絵は、ふるさとの母校・比々多国民学校の桜の大木と校舎を描いたもの。記憶をたどり描きあげた桜の花びらが今にも風にそよぐようです。仕事を離れた小林さんが絵を描くという自己表現の場を得たことは幸せですね。

午後からは「秦野市総合計画推進会議」に出席。推進会議は、2007年2月に秦野市長に答申した「秦野市総合計画次期基本計画案について」の中に「計画の進行管理や評価について、第三者機関がチェックできる体制を構築されたい」という文言が入ったことを受けたもの。総合計画を単に作成するだけでは絵に描いた餅、計画の進捗状況や達成度を客観的に把握し、計画の着実な推進を図る必要があるからです。

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推進会議の会長は、tvk(神奈川テレビ)の会長である牧内良平さん。秦野市総合計画審議会の会長を務め、計画案の作成にリーダーシップを発揮された方です。私も審議会委員に引き続きこの推進会議の委員になっています。

事務方の説明を受けて、本日出席の15名の委員からは、さまざまな質疑が重ねられました。進捗状況や評価の仕方、評価そのものについての質疑や、市政全般にわたる質疑や提案が行われました。

私は、事前に「本町地区乱立マンションの入居率」「ふるさと納税制度」「市民トラスト」「協働」「新建築基準法の基準を満たさない民間住宅」について質問を寄せていました。一部の質疑はできませんでしたが、「協働のまちづくり」について以下のような提案をしました。

「神奈川大学経済学部教授の松岡紀雄さんとは、「神奈川県パートナーシップ条例(仮称)」検討部会でご一緒させていただいています。松岡先生が「協働」の源流を調査された際に、この言葉を全国に先駆けて1986年の「総合計画」に使ったのが秦野市であることをお聞きしました。このことをご存知ですか?」と投げかけました。

残念ながら秦野市の場合、その後の「協働」の実績が伴いませんでした。せっかくの全国初の「協働」を実態あるものとして秦野の「協働のまちづくり」に生かし、全国に発信してほしい。

これに対し、「秦野市でも庁内に「協働」についての検討部会を設け議論を始めました。早い段階で市民にも参加してもらい議論を深め、「協働のための指針」を作成したい」との答えがありました。今後の行政の具体的な対応に注目したいものです。

21世紀ののまちづくりは協働なくしては成り立ちません。地域に住む市民・NPO・企業・行政がそれぞれの得意技を発揮し、協働作品である住み良い、暮らしやすい、安心・安全なふるさと秦野を創り上げることが大切だと痛感します。

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