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丹沢ドン会の農業の師匠・関野丑松さん逝く

1月22日午前、彫刻家の西巻一彦さんから電話が入りました。西巻さんが住んでいる秦野市名古木の同じ町内会の関野丑松さんがお亡くなりになったというのです。

関野さんは、丹沢ドン会が秦野市名古木の棚田の復元活動を始めるきっかけや、その後の農作業のいろはを指導していただいた、言わばドン会のお師匠さんでした。私たちは、尊敬と親しみを込めて、「丑松さん」と呼んでいました。

丑松さんとドン会を引き合わせてくれたのが、東海大学の芸術学部を出て全国の彫刻展で多数の賞に輝いている西巻さんでした。出会いは1999年、名古木の丑松さんの畑で、そばや小麦の栽培をやらせていただき、次には、丑松さんのミカン山において1本3000円でミカンの木の剪定作業と収穫がつづきました。

翌年には、名古木の玉伝寺をはさんだ東側の沢筋の大木仙造さんの棚田で、丑松さんを中心に地元の農家の方の指導を仰いで、東海大学の自然環境学科・宝田教室の学生とドン会による合同の米づくりが始まりました。東海大学の収穫祭にご一緒したり、丑松さんの庭でドン会の収穫祭を開かせていただいたこともありました。

東海大の学生たちや、ドン会メンバー相手に手取り足取りの丑松さんの指導は、米づくりの厳しさと楽しさを体全体で教えてくれるものでした。何年たってもなかなか独り立ちできないドン会のメンバーには、「いつまでも、おれに頼ってばかりでは駄目だ。早く自立しろ!」と叱咤激励してくれました。

その後、ドン会メンバーの中からは、千葉県の佐原にある不耕起栽培の農業塾に通うものも現われ、米づくりの理論と技術の取得と、その実践に力を発揮するようになりました。これまでの伝統的農法を忠実に伝えようとする丑松さんと、週末野良人であるドン会の、できるだけ手をかけない自然農法の米づくりの間には多少の違いがあります。その溝を埋めるための話し合いを重ねたこともありました。

その間、名古木の共有林組合の丑松さん他の管理地の下草刈りやクヌギ・コナラなどの雑木林の手入れ・管理作業をやるなど、現在、NPO法人自然塾丹沢ドン会が実践している里地・里山の保全・再生活動のベースの部分を丑松さんから教わりました。

23日夕刻のお通夜には、東海大学関係者、ドン会メンバーなど多数が参列しました。お通夜の後、前理事長の岡進さんと地元の酒処「むらた」で丑松さんを偲んで一献傾けました。

享年77歳、関野丑松さんのご冥福をお祈りいたします。

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