« 丹沢自然塾「田植えの準備」に汗を流す | トップページ | ㈱アルファさんとのお付き合い20年 »

第16回「透谷祭」を小田原・高長寺で開催

5月16日〈土〉は、明治の小田原が生んだ、近代日本の詩人・思想家である北村透谷の命日です。

明治元年(1868年)12月29日、小田原町旧唐人町(現浜町)で生まれた北村透谷(本名、門太郎)は、明治27年5月16日、満25歳のときに東京芝公園地の旧住居の庭で自死しました。

北村透谷の思想と文学、人物を探り顕彰し、まちづくりに生かそうと、「透谷没後百年祭」を高長寺で開催したのは、平成6年(1994年)5月15日のことです。

「没後百年祭」で中央大学の金原左門教授は、この文化運動を「一過性のものにしない」と明言しました。果たして「透谷祭」は、回を重ねること16回。ここまでつづいたエネルギーは、文学・文化・小田原を愛するゆるやかな市民のネットワークならではのことです。

Dscn4282

透谷祭の会場は、小田原駅新幹線口より徒歩5分の高長寺です。

Dscn4295_2

高長寺境内にそびえる白モクレンは、小田原市天然記念物の指定を受けています。

Dscn4286

北村透谷の墓前で読経する高長寺・小川住職。

Dscn4290_3

透谷の墓は、もともと東京芝白銀台の瑞聖寺にありました。透谷夫妻の墓地が区画整理のために移転することになり、長女の堀越英子さんが、北村家先祖の墓所のある高長寺を訪れて改葬の相談をされ、昭和29年(1954年)5月28日に透谷夫妻の遺骨を埋葬、供養法会を営みました。

Dscn4311_2

「透谷祭」会場の高長寺庫裏には、透谷の写真が掲げられました。

Dscn4297_2

この日の司会は、小田原市栢山の詩人・竹井邦夫さんです。

Dscn4308_2

乾杯は、南足柄市の民話研究家・湯山厚さん。

Dscn4310_2

透谷の遺族の堀越嘩子さんは毎年、鎌倉からお出でになります。

Dscn4312_2

八王子からは、透谷と深い交わりがあった秋山国三郎の遺族・秋山国子さん他8名の方が参加しました。

この日はまず、3人の話題提供者によるトークががありました。

Dscn4315_2

透谷の特集を「民衆」誌に編集した福田正夫の娘・福田美鈴さんは、父・正夫がなぜ透谷に関心を寄せていたのかを語りました。

Dscn4316_2

透谷の「三日幻境」の作品の舞台である八王子市上川口村のいまと、透谷と秋山国三郎の交友を語ってくれた石橋亨さん。

Dscn4340_2

小田原在住の作家・小田淳さんは、小田原城址公園にある「北村透谷記念碑」が、いままた移転の危機にある現実に触れ、小田原の文化的状況の変化をうながすためには何が必要なのか問いかけました。

Dscn4363_2

3人のトークの後は、参加者からの質疑が多数寄せられました。秦野市在住の詩人・加藤三朗さんは、「透谷は、西欧のものをそのまま日本に輸入すると言う意味でのインテリゲンチャーではなかった。日本独自のものにするために苦悩した」というユニークな視点で話しました。

Dscn4351

金原左門・中央大学名誉教授は、「透谷没後115年と意味、透谷がなぜ自死したのかということを改めて問い直そう」と来年の透谷祭へ向けた課題を参加者に投げかけました。

Dscn4368

小田原市久野の東泉院の岸住職の閉会のことばを最後に第16回透谷祭は終わりました。

10名ほどの有志は、小田原駅近くの「美加」のカウンターに場所を移してさらに透谷を語り合いました。

|

« 丹沢自然塾「田植えの準備」に汗を流す | トップページ | ㈱アルファさんとのお付き合い20年 »

編集者日録」カテゴリの記事

夢日記・コラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 第16回「透谷祭」を小田原・高長寺で開催:

« 丹沢自然塾「田植えの準備」に汗を流す | トップページ | ㈱アルファさんとのお付き合い20年 »