紫藤邦子さんのイタリア暮らし
5月26日〈火〉夕方、秦野駅近くで「旧梅原家洋館再建の会」の打合せがありました。2日前に紫藤邦子会長がイタリアから1か月ぶりに帰国。長旅の疲れも見せずに、この日の事務局会議に出席されました。
4月下旬から1か月間、イタリアのとある街で暮らしながら美術学校に通い、フレスコ画を習った紫藤さんは、その日の出来事を毎日のようにノートに描きました。
再建の会の打ち合わせが始まるまで、イタリアでの暮らしぶりをお聞きしました。その街は、周囲を穏やかな山に囲まれ、街の中を川が流れ、私たちが暮らしていいる丹沢山ろくの秦野の街と似ているそうです。
石畳の道路、幾百年の風雪に耐えてきた街並み。人々はそれらを壊すことなく保存し、そこに暮らしています。迷路のような道路は、外敵から街を防衛するための工夫の一つです。
建物は古く、エレベーターがあるわけではありません。通りすがりの観光客であれば、この上なく不便で、非効率の街に見えるでしょう。
街は観光で成り立っているのです。観光客をもてなした後は、街の住民たちが生活を楽しんでいます。夜遅くまで明るく活気のある街。
そんな街に1か月暮らしてみると、その不便さを当たり前のように受け止め暮らしている街の人々の穏やかな時間の流れに気づきます。それに身をゆだねる心地よさに浸ったと言います。
ゴミや馬糞で汚れた街路を、朝4時ころからウオッシャーが走り回り、きれいにします。人々が起き始めるころには、キレイさっぱりになった街並みが朝日に輝いています。
そんな街の中を和服姿で歩き回り、美術学校に通いフレスコ画を習ったそうです。
井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」という本があります(2008年3月、文芸春秋)。ミラノ空港に降り立った井上さんは、ふっと一息ついてタバコを吸っているとイタリア男に声をかけられたそうです。小型バスを雇っていてボローニャにこれから行こうとしているときのことで、てっきりその運転手と勘違い、やり取りに気をとられていました。
その男は突風のようにさっと向こうに行きました。「何だろう、いまの男は・・・」と思いながらふと手元を見ると鞄がありません。中には帰りの航空券、筋子のおにぎり2個、1万ドルと百万円の札束が2つ。ボローニャの古地図と書き溜めたノート。
紫藤さんもイタリアに着いたその日に同じような体験をしました。身体に付けていた10万円だけが残りました。でも、この10万円で1か月やり繰りしようと開き直りました。
お陰で(?)、街の中を歩き回り、安くて美味しい食材を買い求め、自炊生活を楽しみました。災い転じて福となす、柔らかな思考回路がイタリア暮らしを豊かなものにしたのでしょう。
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