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平塚市「八幡山の洋館」で「満州の星くずと散った子供たち」DVD上映会

5月31日〈日〉午後は、小田原・伊勢治書店のギャラリー「新九郎」で東泉院住職の岸達志さんの「禅の講話」を聞きました。東泉院で行われている座禅会に参禅されているみなさんが、一般の方にも是非聞いてもらいたいと企画された催しです。

実は5月16日に開催された「第16回透谷祭」の会場で岸さんからご案内をいただきました。一度ゆっくり岸さんのお話を聞きたいと思っていた矢先のことで、勇んで参加させていただきました。

会場の正面には、3副の掛け軸が掲げられ、それぞれに「関」という字が書かれていました。

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天下の険・箱根の「関」から説き起こされた話は、やがて人生の「関」に及びました。一人ひとりの人生における「関」である関門、試練が人を育て、他の人に優しくなり、それぞれの人生を豊かなものにする。

今の時代は、「易きにつき、我が身がよければ、お金があれば何でもできる」という風潮が蔓延しています。長い禅の修業を経て得られた岸師の講話と、その後の「十牛図」の寓話に、会場一杯の参加者から拍手が送られました。

講話の余韻が冷めないまま、JRで平塚駅に向かいました。ボージラールの和田さんから、DVD上映会のご案内が届いていましたが、間に合えば参加したいと電話で話していたのです。

昨年夏、海老名と横浜で「満州の星くずと散った子供たち」という、歌と朗読でつづる小さな命のものがたりが上演されました。原作は、増田昭一「満州の星くずと散った子供たちの遺書」〈夢工房刊〉です。その横浜みなとみらい小ホール上演のDVDの上映会です。

会場は、本年4月にオープンしたばかりの平塚市八幡山公園に移築された洋館です。明治45年(1912)年に竣工したと推定されている、国の登録有形文化財に登録されている建物です。

元はと言えば、明治38年に日本火薬㈱の英国人の住宅として建てられたものが明治44年に火災で焼失。それを再建したものと言います。後に海軍火薬しょうが買収し、建物は「将校クラブ(水交社)として使用されました。

さらに戦後は、横浜ゴム㈱が払い下げを受け、応接室や会議室として使用されていましたが、平成16年4月に横浜ゴム㈱から平塚市に無償贈与されることになり、八幡山公園に移築することになりました。

今後の保存・活用のために移築・復元工事を行い、ようやくこの4月にオープンしたと言うわけです。

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私が会場に着いたときは、DVDの上映も終わり、この日参加されていた甘利真美さんがピアノの弾き語りの真っ最中。

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平塚市会議員の江口友子さんが、平和を考える催しをこの戦争遺跡でもある洋館で今後も開きたいと話しました。

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ボージラールの和田さんは、お見えになっていた大蔵・平塚市長のご紹介をされました。

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平塚駅から徒歩7分ほど、八幡山公園の緑の中に愛称「八幡山の洋館」はたたずんでいます。

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会の終わった後、江口さん、和田さんと少しお話をさせていただきました。

この洋館のオープンには、大蔵・平塚市長の並々ならぬ地域の文化への想いがあったと言います。移築・復元のノウハウを是非、秦野で行っている「市民トラスト・旧梅原家洋館の再建」運動に生かしたいと思いました。

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