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「カイサクさん」こと丹沢の番人・渋谷書策さん逝く

1992年の11月27日(金)の夜、丹沢山ろく・秦野駅前「なでしこ会館」の大会議室は熱気にあふれていました。「丹沢の自然と私たちの暮らし」について市民グループが企画した初めての「’92丹沢シンポジウム」が開かれました。

主催したのは、その年の3月に発足したばかりの「丹沢ドン会」。神奈川県内のさまざまな自然保護グループ、登山愛好者、行政マン、マスコミ関係者など160名余りが参加しました。

この日のシンポジウムのテーマは「山小屋の主人たちと語る」。9人のパネリストの一人として「カイサクさん」こと渋谷書策さんに声を掛けました。

朴訥とした語り口に丹沢の自然を見つめつづけている頑なさがうかがえました。カイサクさんは、「大気汚染によって丹沢の自然がおかしくなっている」と訴えました。

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このときのシンポジウムの内容は『丹沢があぶない!』というブックレットにまとめ、夢工房から発行(1993年4月1日)しました。

シンポジウムでの出会いがご縁で、表尾根の「カイサク小屋」にその後、何度となく登りました。カウンター越しにタバコをくゆらせながら、ゆっくりとコーヒーを淹れるカイサクさんは、シンポジウムのときに見せた厳しい顔とはまるで違っていました。山の上では、はにかむようなとびっきりの笑顔でした。

カイサクさんは、「丹沢緑の基金」の呼びかけ人となり、多勢のファンに支えられて裸地化した登山道に雑草の種を播くボランティア活動をつづけました。

数年後にもう一度、シンポジウのパネリストをお願いしたことがありました。ところが当日、カイサクさんはとうとう会場にはお見えになりませんでした。今のように、いつでも、どこでもつながる携帯電話があるわけでなし、連絡は取れませんでした。

「山から下りると、もう2度と小屋には戻れない・・・」と思ったのでしょうか。下界のさまざまなしがらみを突き抜けた「丹沢の番人」としてのカイサクさんの意志を見た思いがしました。

パネリストの一人、佐藤進さんはすでになく、いままた渋谷書策さんがこの夏、93歳でなくなられました。

神奈川新聞の「照明灯」子は、2009年8月21日の同欄に記しました。

「『つまんないことで悩んでいるんだね』。山小屋で書策さんはよく話した。下界の些細な心配を吹き飛ばしてくれた。丹沢の名物親父に感謝」

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「丹沢心のボランティアの会」代表の田中茂さんは、情報誌『タウンニュース』秦野版(9月5日)に「渋谷書策さんを悼む」の一文を寄せました。

「『おれは小屋番ではなく、山番だよ』・・・。五十有余年を丹沢とともに歩んできた書策さんが漏らした沈痛な言葉は、丹沢再生への力となり、多くの人たちの心の道標となっている」

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「丹沢の土に帰り、風となって舞う」カイサクさん、安らかに!

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