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西山敏夫さんと朗読の会「五月会」の出会い

丹沢の峰々が白い衣装をまとったこの冬一番の1月の寒い日に、二宮町中里にある町の施設の会議室に8人の女性たちが西山敏夫さんの話を聞こうと集まりました。二宮町に伝わる民話などの朗読会をつづけている「五月会」のメンバーです。

会のメンバーの一人、野地京子さんは、二宮町に住んで50年。二宮町が昭和56年に発行した『二宮の昔ばなし』を愛読し、その中の昔話を朗読会でも上演していました。その本の著者の一人が西山敏夫さん。野地さんは西山さんに二宮の民話を聞かせて欲しいと何年も前からラブコールを送っていたそうです。

念願かなって、この日は晴れて西山さんと五月会メンバーのご対面。事前にご了解を得て私も一緒に西山さんの話を聞くことになりました。

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五月会の8人のメンバーは、世代も出身地もさまざま、縁あって二宮町に在住、あるいは小田原市からお出での方々でした。

「みなさんとこうしてお会いし、話を聞いていただけることに感謝しています。長いお付き合いができることを願っています」

西山さんは、30年ほど前の『二宮の昔ばなし』の発刊のいきさつに触れながら、言葉を紡ぐことの難しさと覚悟を話し始めました。

漁師の家に生まれ育ち、相模湾で仕事をし、二宮の街で暮らして来られた西山さん、全身に二宮の歴史と生活文化が染みこんでいます。

「70~80の民話のネタはあるけんど、起承転結を踏んでまとめ上げるのは容易なことじゃない」

西山さんは、二宮町山西の国道1号線沿いの家にお住まいです。小学校の担任の先生の影響を受けて、夏休みの課題で家の前で交通量の調査を行ったことがありました。歩いている人、自転車、リヤカー、大八車、自動車、進駐軍の車などを、朝から夕方まで調べました。

このユニークなレポートは学校の代表として県に提出されましたが、そのまま戻ってこなかったそうです。思い込んだらトコトンやり遂げる強い意志は幼いころから備わっていたのでしょう。

町内のある古老がお亡くなりになったときに西山さんは弔辞を頼まれました。要を得て簡、古老の生前の「人となり」を余すところなく伝えて、涙をさそったこの弔辞は、町内の評判となりました。

そのお連れ合いのおばあさんはその後、西山さんに会うたびにお願いされるそうです。

「オラのときにも弔辞を読んでくれ!」

西山さんは感慨を込めて話されました。

「しゃべることと書くこと、その人その人の文体がある」

言葉を選び推敲を重ねる西山さんの文章が彷彿とします。

2時間ほどの西山さんの話に五月会のメンバーは感激のようす。翌日、野地さんから御礼の手紙が届いたそうです。

「私は西山さんが手がけてくださる真の『二宮の民話』を待っています。聴きたいという方々に一所懸命伝えたい。胸を弾ませてお待ちしています」

「この春には現役の漁師を退く」と話された西山敏夫さん。言葉紡ぎの苦闘が始まることでしょう。

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