観測史上最大の巨大地震発生!
11日午後、2階の事務所で『お米と私』の編集済みデータをCDに流し込んでいました。その直後、大きな横揺れに見舞われました。揺れは1分ほどつづきました。
事務所にいた連れ合いと一緒に1階へ。まずは玄関のドアを開けて出口を確保。家は揺れ、駐車場の車はクッションの上で跳ねるよう。道路には誰も出ていません。近所のみなさんは家の中なのか、留守なのか。
揺れが収まり、ひとまず家の中に。テレビのスイッチを入れましたが、つきません。車のラジオで地震速報を聴きました。2時46分、日本の観測史上最大の巨大地震の発生を報じています。
マグニチュードは当初8.3、菅首相の国民に向けたメッセージでは8.4、さらにその後、8.8と訂正されました。
2人の子どもたち、ふるさとの実家などに連絡を取ろうとしますが、電話はつながりません。
余震はつづきますが、1時間ほどたって、秦野市内に住んでいる娘のところに急遽、2人で車で出かけました。R246の信号は消えていてます。白バイのおまわりさんが交通誘導。街なかには、おおぜいの市民が心配そうに路上で語り合っている姿や、交差点での車の渋滞がありました。渋滞の手前で脇道に抜けました。
娘は☆君と一緒に元気でした。一安心。
同じ秦野市内でも、ここは電気が通じています。テレビが東日本の巨大地震を報じていました。大津波が家々を飲み込み、すべてを押し流し、陸地深くものすごいスピードで進んでいました。リアルタイムのヘリコプターの映像が信じられません。
家に戻ってプレハブの倉庫と事務所を確認すると、本棚が傾ぎ、事務所の書棚のファイルが雪崩を打っていました。
東京に通勤している下の娘や実家とは連絡が取れません。夕方、ようやく娘から、会社のビルの11階で、とにかく大丈夫だとのメール。が、その後も携帯は「込み合っています・・・」。
ロウソクを灯してラジオを聴きました。家の中を動くときには、登山用のヘッドランプが役に立ちました。
夜になって、会社にいる娘の所に夫君が到着し、合流できたとのメール。ふるさとの双方の実家ともようやく電話が通じ、みんな元気とのこと。こちらも一安心。
11時過ぎ、電気が回復しました。さっそくテレビのスイッチ。惨憺たる津波の現場。映像が映し出したのは、石油コンビナートの炎上、津波が引いた後の市街地の火災。そして、原子力発電所のトラブル。恐れていたことが、想定外の巨大地震であらわになってきました。
会社に留まっていた娘夫婦が、動き出した地下鉄・電車を乗り継ぎ、横浜に帰ったのは夜中の2時半でした。帰宅難民にならずにすみました。
まんじりともしないうちに外が明るくなりました。
6時半過ぎに携帯電話で起こされました。この日午後に予定されていた「北村透谷碑移転除幕式」の延期の連絡。
パソコンのEメールには、「本町地区見て歩き」の延期の連絡が入っていました。
もう一つ、13日(日)に東海大学で予定されていたコカコーラ教育・環境財団寄付講座の「公開講座」が、基調講演を行うC.W.ニコルさんが来ることができず、延期に。小田原のアルファさんで校正をしていた時に東海大学の室田教授から電話が事務所に入りました。
ニコルさんの基調講演のテーマは「多様性は可能性=森のサステナビリティー」。
この公開講座で私は、第2部のパネルトーク「持続可能な社会づくりに向けて私たちにできること」で東海大学の小澤紀美子教授・コーディネーターの下で、アドバイザーの役をおおせつかっていました。
小田原からの帰り、車のラジオでは震災の連絡メッセージが流されていました。
家に戻ってテレビをつけました。各局は震災報道一色。一夜明けて徐々に明らかになった被害の大きさに呆然としました。
自然の猛威の前に、掛け替えのない命を亡くされたおおぜいのみなさまのご冥福をお祈りいたします。
さらに原子力発電所の爆発。チェリノブイリ原発の再来という最悪の事態は何としても避けたい。これ以上の被害が広がらないように国・自治体などの総力を挙げて、被災されているみなさんの救援に取り組んで欲しいとせつに願います。
「明日はわが身に」であることを肝に銘じたいものです。
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