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北村透谷碑移転除幕式を小田原文学館で開催

初夏を思わせるさわやかな青空が広がった5月15日(日)の午後、小田原文学館で北村透谷碑移転除幕式が開かれました。

小田原が生んだ近代日本の思想家で文学者であった北村透谷は、明治27年5月16日、25歳の若さでこの世を去りました。透谷の思想や作品などの足跡を後世に伝える契機とするために小田原小峰(大久保神社)に「透谷碑」が尾崎亮司、西村隆一の発起で建てられたのは昭和4年7月のことです。

その後、透谷碑は小田原城址公園(馬屋曲輪)に昭和29年5月に移転し、今回、小田原城址公園の再整備に伴い、小田原文学館の敷地内に移転することになり、昨年12月に移転工事が完了しました。

「北村透谷碑移転除幕式」は、当初、3月12日(土)に開催の予定でしたが、11日に起きた東日本巨大地震の影響で延期となり、2か月後のこの日ようやく開催されました。私はこの日の移転除幕式の記録写真を担当しました。

JR小田原駅から小田原城址公園を通って会場の小田原文学館に向かいました。

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透谷碑は、この写真の奥に昭和29年から昨年までありました。

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整備された小田原城です。

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西海子通りのたたずまい。小田原文学館はこの左手にあります。

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小田原市の職員や、実行委員会の方々が会場を整えてくれていました。定刻の1時間前から参加者の受付はにぎわい始めました。

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記念講演を行う金原左門さんも到着。こゆるぎ座代表の関口秀夫さん、元小田原図書館長の佐宗欣二さん、作家の小田淳さんなど実行委員会のメンバーです。

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来賓の北村透谷のご遺族である堀越曄子さんもお見えになりました。

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小田原市観光協会長で鈴廣の鈴木智惠子さんもお見えになり、実行委員会事務局の小泉政治さんと打ち合わせ。

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用意された椅子では足りないほどの参加者です。

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実行委員会を代表して倉持弥平さんが主催者の挨拶。

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小田原市長の加藤憲一さん、堀越曄子さん、透谷碑のデザインをした牧雅雄のご遺族の牧久子さん、倉持弥平さんの4名で除幕。

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小泉政治さんが透谷碑の建立と移転の経過を報告しました。

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小田原市長・加藤憲一さんの祝辞。

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法政大学名誉教授の小澤勝美さんの祝辞。

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小田原商店街連合会会長の尾崎紀昭さんの祝辞。尾崎さんは、透谷碑建立発起人の尾崎亮司さんのご遺族で、創業400年有余・料理茶屋小伊勢屋の十八代です。

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移転除幕式の進行は、新任の小田原市文化財課長の加藤裕文さんでした。

閉式の後に来賓、実行委員会のメンバーで記念撮影。

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「透谷碑」が3度目の場所を得て、安住の地となることを願わずにはいられませんでした。

移転除幕式の後の記念講演は、敷地内にある「白秋童謡館」で行われました。

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岸達志老師が講師の紹介。

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中央大学名誉教授の金原左門さんのこの日のテーマは、「小田原に愛着をもった北村透谷―透谷と諭吉・尊徳・正兄と― 」。

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主会場に納まりきれない参加者は、2階に設置されたテレビを通して講演を聞きました。

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碑の表面の「北村透谷に献ず」は、島崎藤村の筆によります。

北村透谷の思想と平和への想いを現代に甦らせる契機とするためには、文学のまちづくりを進める小田原市はもちろん、多様な市民との協働の取り組みが何よりも必要であることを実感した1日でした。

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