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2011年8月

☆くんの「ハッピーバースデー」の歌

連れ合いの「うん十歳」の誕生会に☆くんがやってきました。

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夕食を食べた後は、踏み台を自分で持ってきて、片付けのお手伝い。上手に皿やはしを水で洗ってくれます。お手伝いが大好きな☆くんです。

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食事の後はケーキです。

「ハッピーバースデー トウーユー・・・」

☆くんは、手をたたきながら歌いました。

「たんじょうび、おめでとう!」

連れ合いと一緒にケーキのローソクの火も吹き消しました。

巷では底なしの政局がつづいています。

「子どもたちが、健やかに暮らせる社会を」と願うばかりです。

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雨上がりの富士山とユリの花

丹沢山ろくは不安定な天候がつづいています。市議会議員選挙の候補者たちの街宣車が雨上がりの市街を走り回っていますが、市民の関心はいまひとつ。

それというのも、議員定数を2つ削減するという陳情を採択した議会が、選挙の直前の議会で2議席削減の議案を否決したのです。無投票か、とも一時は心配(?)されましたが、結局、26の議席に27名が挑むという、すこぶる低競争率の選挙戦となりました。

市民不在の、我が身可愛さの議会の行く末を危ぶむのは私だけではないようです。

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そんな心配をよそに、雨上がりの街並みの向こうに雲をかぶった紺色の富士山が姿を見せました。

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我が家の庭には雨露を含んだユリの花が、大地にしっかりと根をはって咲き誇っています。

収穫の秋ももうすぐ。「稔るほど頭を垂れる稲穂かな・・・」

志は富士山のように高く、稲穂のような人間性を持った政治家に私たちの未来は託したいものです。

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「裕と生きた、楽しかった 露子」編集中

母が娘に語った、「わが夫との半生の記録」の録音テープをお預かりしたのは、今年の正月のこと。しかし、仕かかり中の本の編集に追われて、すぐには手をつけることができません。母娘で夢工房の事務所にお出でいただいたスタートのときに、1年間の制作期間をいただくことにしました。

そのテープ反訳を終え、リライトし、構成を整え、ようやく第1稿までたどりつきました。そこで娘さんと連絡をとり、真鶴のお母さんのご自宅に伺うことになりました。

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車で秦野から二宮に出て、西湘バイパスに入り、国府津のパーキングでトイレ休憩。群青の相模湾は波静か。

終点・石橋インターを降りて真鶴道路へ。JR真鶴駅の前を通り、真鶴中学の裏側へ。坂道のYの字のところで迷っていると、配達中の郵便やさんに出会いました。これ幸いと車を道の端に寄せ、若い郵便やさんに声をかけました。

「すみませーん。〇〇番地なんですけど、どちらの方向か分かりますか?」

すると、「ちょっと待ってて・・・」と、郵便やさんは1か所、郵便物を配達して戻ってくると、地図を広げて探してくれました。

私が地図をのぞき込もうとすると、「これはちょっと見せられないもんで・・・」とやんわりと断わりを入れられました。

「こちらのほうは新米で・・・」と言い訳しながら、道順をていねいに教えてくれました。

「ありがとうございます。助かりました」

郵便やさんは、「どーも・・」と坂道をバイクの音を響かせて遠ざかりました。カーナビなしの悲哀を感じながらも、親切な郵便やさんとの出会いに感謝。

ご自宅は真鶴半島や相模湾が見渡せる高台にあります。部屋に案内されて、そのワイドな眺望にビックリさせられました。

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露子さんとその娘さんに第1稿をお渡ししました。

自費出版の本のタイトル、文体、地名・人名・年代の表記など、原稿をお読みいただくときの留意点をページをめくりながら説明しました。また、書き足して欲しいことがら、原稿に登場する人物のプライバシー上の問題点や、取り扱い上の判断をして欲しい部分などをお話ししました。

2か月ほどじっくりと手を入れていただきます。年内に第2稿をお出しし、発刊は年を越すことになりました。

打合せを終えて帰るころになると、先ほどの青空はどこへやら、窓を打つ土砂降りの雨。せっかくの眺望はかき消されました。

支那派遣軍総司令部女子軍属、戦後の教師と教え子、子育てなどの自らの体験を孫子に伝えたい。その一念で本づくりに取り組む露子さんのお手伝いをさせていただきます。得がたい時間を共有させていただく本づくりとなりそうです。

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ふるさとの田んぼは黄金色

ふるさとの母が入院しました。東名・関越道で6時間ほど、長岡インターを降りました。土曜日の高速道路は利用料金の割引が適用されていました。

前日、母はショートステイ先で39度の発熱があり、日赤病院の外来に。点滴を打ってもらい、翌日、長岡保養園に入院しました。

私が着いたときは、昼食中。さっそく食事の介助です。ベッドで点滴中の母の食事は流動食。幾匙か食べてくれましたが、あまり食が進みません。

スタッフの方が食堂から部屋にベッドを移動してくれました。母は、握っていた私の手を離そうとしません。

しばらくして兄が来ました。持参のマンゴープリンをなんと、母は完食。やれやれ。

さらに近くに住む姉夫婦が見舞いに。

ベッドの母は、一回り小さくなりましたが、この前会ったときより顔色が良いのが救いです。

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長岡保養園から実家に戻り、1泊。ふるさとの田んぼは、たわわな実り。黄金色のじゅうたんが拡がります。福島第1原発の放射能汚染がないことを祈って。

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ふかしナス、焼きナスのミョウガ添え、小ナスの漬物、ナンバンの味噌煮、茹でズイキ、ゴーヤと鶏肉の卵とじ、枝豆、野菜ずくしの夕食をいただき、杯を重ねていると、仕事を終えて埼玉から来た弟が合流。めったに会わない男の兄弟がそろいました。

翌日、午前中に母を見舞って関越の越路南のスマートインターから秦野に向かいました。

9月の誕生日で92歳の母の長命を祈りながらふるさとを後にしました。

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「タウンニュース』に「五十嵐商店の活用を」の記事掲載

8月18日付の『タウンニュース』秦野版に、「昭和初期の洋風建造物 五十嵐商店の活用を」と題した記事が掲載されました。

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8月6日に「五十嵐幸吉商店の利活用に関する基本合意書」を、所有者の五十嵐幸治さんとまちづくり市民グループ「市民が創る秦野のまち」で取り交わしました。

これまで、いくつものプロジェクトでどれだけの税金が投入されたか分かりませんが、確たる成果を上げることのなかった商店街の振興策。ことは秦野の商店街に限りません。

五十嵐商店に代表される秦野のまちに眠っている近代たてものなどの地域資産をどのように活かし、地域の活性化につなげることができるか、「よそ者・若者・ばか者」と称されるさまざまな世代の知恵と汗の出しどころ。

8月20日午後には、五十嵐商店の第4・第5倉庫の清掃ボランティア活動を行います。後日、倉庫に残っている日用雑貨などのガレージセールを行う予定です。その後の本格活用に向けて、いま、大学生・若者・青年らとアイディアを寄せ合い、まちづくりの議論を深めているところです。

楽しく、オープンに、地域・商店を巻きこんだ活動につなげていきたいものです。

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☆くんはクラフトアーティスト?

久しぶりに☆くんが、我が家にやってきました。

家に遊びに来ても、普段、私は2階で机に向かっているため、「おべんきょうするの。紙、ちょうーだい」と、私のところで少しうろうろして、紙とエンピツをもらって連れ合いのところに降りていきます。

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「おべんきょう」と称して、ボールペンやクレヨンなどでヤレ紙にさまざまな模様を描きます。色紙の裏の白地に数種類の色鉛筆で描きなぐり、「これは〇〇」と私のところに見せに来ます。

「うわー、すごーい。虹みたい」と私が答えると、満足そう。

今度は、絵の上にセロテープを貼って、少しつるつるしたものを持ってきます。

「これなーに、少しふくらんで面白いねー」と言うと、「セロテープはったんでーす」と得意そう。何回も何回もあきることなく「おべんきょう」をつづけます。

この日は、私が車で出かけて帰ってくると、☆くんは、「つかれなかった? だいじょうぶ?」と労わり(?)の声をかけてくれました。

初めてのこと、☆くんが私のところにきて頬をくっけました。いつもは、私が近づくと逃げ回るのに、意外な出来事に私はビックリ。

「Tチャン(私のことです・・・)、汗くさーい!」とすぐに逃げていきましたが!

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☆くんは、「ハサミは一緒のところでね」という連れ合いとの約束を守りながら、上手にハサミで紙を切っています。そのうち、クラフトアーティストになるかもしれません。 

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鎮魂の夏、「学生たちの太平洋戦争」の記事が朝日新聞・東京版に

8月13日の「朝日新聞」朝刊・東京版に、『学生たちの太平洋戦争―国に捧げた青春の記録―』の記事が掲載されました。9月上旬発行予定(夢工房)、B6判246ページ、定価1470円。

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新聞の記事のタイトルは「特攻前、日記に秘めた心」。本を編集した熊谷眞さん(88歳)は、旧制山形高校で同期だった大塚章さん、特攻兵の日記を10年前に遺族から託されました。戦争を知らない世代に見てもらいたいと、この6月、「わだつみのこえ記念館」に寄贈しました。

大塚さんは、「戦局の機は相次ぐ特攻にあり。我これに加わり得るは武人のほまれと心中喜ぶ」と日記に記しつつも、「今は云うことなし」「・・・母、母、畏し、云う言葉を知らず」と無念の心の内を書き遺しました。

熊谷さんは特攻に散った学友の心を想像し、取材した松本千聖記者に語りました。

「本当は生きたくても、当時はそう言えなかった。感情を押し殺していながらも、日記には本音を書いていたのでしょう」

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朝日新聞をお読みになった読者からさっそく予約のメールが入りました。そのお一人、秦野出身の東京大学名誉教授・熊澤さんは、ご自身のお兄さんを特攻で亡くされているといいます。

この本には、13名の男女の戦争体験の手記を掲載しました。同じ時代を生き抜き、生き残った者の最後のつとめとして語り継ぐことを自らに課しました。

腰帯に記したメッセージです。

「太平洋戦争末期、厳しい戦局に対応するために、兵役・軍需工場などに駆り出され国に捧げた青春。男女13名がつづる学徒出陣・学徒動員のあの日。若者たちが体験した戦争の真実・原爆投下の広島の悲惨を、つぎの世代に、いま伝えずにはいられない!」

「戦後六十六年。生き残った若者たちの慟哭の記録」です。

鎮魂の夏、合掌。

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五十嵐幸吉商店見学と「利活用プロジェクト」企画会議

炎暑の中、秦野駅に集合した面々。まちづくり市民グループ「市民が創る秦野のまち」のメンバーと、工学院大学大学院建築学専攻倉田研究室の平野さんと、その呼びかけに応えてはせ参じた、まちづくりに思いを寄せる仲間たち4名。

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最初に、市民が創る秦野のまちの代表・福田省三さんが、秦野の街・四ツ角周辺の歴史や自然について手短にガイダンス。五十嵐幸吉商店の利活用に取り組もうとしている会の活動の歩みを、この日初めての参加者に話しました。

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秦野駅北口のペディストリアルデッキからの眺め。

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炎天下、いよいよ出発。

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水無川にかかるまほろば大橋から下流を望みます。

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まほろば大橋を渡り、弘法坂を歩き、東道通りを右に曲がり、しばらく行った左手の細い路地を進みます。正面に五十嵐幸吉商店の倉庫が見えます。駅から徒歩4~5分の所です。

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本町四ツ角から河原町に向かう台町通りに面した五十嵐商店の木造3階建ての洋風建物です。

自然塾丹沢ドン会のメンバーで、フォールクローレの名手・木下尊惇さんご夫婦もすでに現地に到着。五十嵐さんと倉庫の中を見学。

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来年2月に開催予定のNPO法人自然塾丹沢ドン会設立20周年記念コンサートの会場としてお借りする予定の五十嵐商店第4号・5号倉庫の内部です。

「高さも広さも十分。倉庫の壁の板と板の間の空間が音を吸収してくれそうです。後は電気系統が整えば・・・」

木下さんは現場を見て一安心のようす。

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五十嵐幸吉商店の店舗の内部です。1階には、昭和の庶民の暮らしを支えた生活雑貨がところ狭しと並んでいます。専売時代の塩小売所の標識もそのまま、電話は74番でした。

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2階、3階も見学させていただきました。昭和の面影を残す建物内部、なぜか居心地がいい。参加者の脳裏にはさまざまな活用法がイメージされるようでした。

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なぜか昭和16年12月8日の宣戦布告の詔書(印刷物)も壁に掲げてありました。

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店舗から見た4号・5号倉庫です。

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店舗、1号~5号倉庫の見学を終えて、秦野駅近くの「なでしこ会館」へ。「五十嵐商店の利活用プロジェクト」の第1回企画会議です。

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木下尊惇さんは仕事に出かけられて欠席。見学の途中に1人と、さらに会議の途中に2人参加者が増えて、ごらんのようなメンバーが初顔合わせ。

この日参加した若者は、明治大学、工学院大学の院生と学生さん、建築・アーバンデザインの事務所に勤める社会人など。とりあえず現地見学のそれぞれの印象とまちづくりへの想い、これからの進め方についてフリートーク。つぎの世代に秦野のまちづくりをつなげるためにも若者たちの発想は欠かせません。

8月20日(土)の午後には、第4・第5倉庫の清掃ボランティアと夕方からの第2回の企画会議を開くことになりました。

駅近の居酒屋で少し喉をうるおして「五十嵐幸吉商店利活用プロジェクト」の門出を祝しました。

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『学生たちの太平洋戦争』もうすぐ刊行!

4月半ばから進めていた『学生たちの太平洋戦争―国に捧げた青春の記録―』の編集作業。本日、本文のデータを修正し、カバーなどの装丁も固まりました。鎮魂の8月には間に合いませんでしたが、9月初めに刊行の予定です。

B6判、縦組み、本文246ページ、並製本カバー装、定価1470円。編者は熊谷眞さん。著者は、熊谷さんはじめ、木名瀬信也、早川勇郎、上迫雅俊、品川信良、二上薆、一色尚次、河田和子、齋藤京子、内田美枝子、斉藤正度、野口毅、佐野た香の13名の方々。

太平洋戦争末期、厳しい戦局に対応するため、兵役や軍需工場などに駆り出された若者たち。青春真っ盛りの男女は、どのような気持ちで時代に対応し、戦争の時代を生き、命を捧げたのか。これが本書のテーマです。

当時の若者たちはいま、それぞれの人生の晩秋ともいえる時期を迎え、自分たちが体験した戦争の真実や悲惨をつぎの世代へ伝えたいと切実に願っています。

編者の熊谷さんは、1923年、東京生まれ、東京大学在学中に学徒出陣し、海軍主計科士官となり、復員・復学後、東大協同組合出版部の学生委員を務め、『きけ わだつみのこえ』などの編集に関わりました。

熊谷さんは、企業役員を退任後、中高年齢者雇用福祉協会所属コンサルタントとして各企業・団体のライフプラン教育にあたられ、現在も同協会研究主幹・主席研究員です。

熊谷さんとは、「元気に百歳」クラブが編集している『元気に百歳―元気が最高のボランティア―』の編集・発行のご縁でお付き合いが始まりました。

「人生の最終章として語り継がなくてはならない戦争の証言などを記録に」という熊谷さんの呼びかけに、ようやく閉ざされた「思い」を吐露する決心をしたと、「おぞましき夏」という広島の原爆体験を寄稿した河田和子さん。

学徒出陣や学徒動員で同時代を過ごした男女13名の戦争体験は、筆舌に尽くしがたいものでした。つぎの世代に戦争を伝え、「2度とあってはならない戦争」というメッセージを込めて刊行します。

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秦野ビジターセンターで自然塾丹沢ドン会などの活動をパネル展示

秦野市大倉にある秦野ビジターセンターに、表丹沢や丹沢山麓で活動している自然保護のグループの活動紹介コーナーが設けられています。

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自然塾丹沢ドン会・丹沢自然保護協会・丹沢ブナ党など、参加している団体の名称に「丹沢」が付いています。「丹沢」の自然がやはり大きな意味を持っているのでしょう。

主に山の上を活動のフィールドにしている、みろく山の会・丹沢ブナ党・丹沢ゴミの会・丹沢自然保護協会など、主に山麓の里地・里山で活動している自然塾丹沢ドン会・かながわ山里会・四十八瀬川自然村など合計9つのグループの多彩な活動がパネル展示されています。

夏休み中とあって、お子さん連れの家族などが、展示会場でパネルに見入っていました。平日の県立秦野戸川パークセンターの駐車場は30分以内は無料です。お出かけください。

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NHKテレビ「ふたり」の中の「おびやかせよ」と「死ぬなよ」

昨夜のNHKテレビ「ふたり」、新作アニメ「コクリコ坂から」の制作をめぐる宮崎駿監督とその息子・宮崎吾朗さんの二人のアニメ制作にかけるプロの仕事を垣間見ました。

7月16日からロードショウが始まっているスタジオジブリの作品。企画・脚本:宮崎駿、監督:宮崎吾朗。

制作のさ中に東日本大震災が発生。「こんなときだからこそ、創りつづける」と、スタジオジブリのスタッフは、死に物狂いで取り組んだといいます。

宮崎駿監督は、昨年9月、雨の中を秦野市蓑毛の大日堂・十王堂を訪れ、地域の人たちと交流・懇談されました。そして、蓑毛まちづくりサポーター第1号になっていただきました。「コクリコ坂から」制作の渦中のことだったのです。

宮崎駿監督は語りました。

「社会がいまだ覚醒していないときにはファンタジーは創れるのです。3.11以後、みんなが真実を知った後に何を創ることができるか・・・」

まさに生みの苦しみ、呻吟を重ねて、新しいアニメづくり、次回作の企画づくりに一歩を踏み出されたようです。福島以後の日本の社会にどのようなメッセージを発信されるのか、待たれます。

番組の最後、「コクリコ坂から」の試写を見た後に、その宮崎駿監督が発した言葉がこれです。

「(私を)おびやかせよ!」

それを聞かされた息子・吾朗監督の言葉。

「(おやじ)死ぬなよ!」

二人をむすんだ濃密なコミュニケーションをこの短い言葉に感じました。

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「元気に百歳」クラブの「緑陰サロン」で白澤卓二教授の講演

土曜日の昼前、JR品川駅から炎天下をゆっくりと歩くこと10分余り。高輪和彊館で開催された「元気に百歳」クラブの「緑陰サロン 2011」に参加しました。会場に入って立ち止まると汗が体中から吹き出ます。

見知ったクラブのメンバーとあいさつを交わしました。しばらくロビーで涼み、『元気に百歳』№12のカバーの色校を編集担当の筒井さんにお渡ししました。

12時過ぎから「緑陰サロン」の開会です。和田譲次代表幹事のごあいさつ。東日本大震災の被災地にクラブのメンバーもボランティアで入っていることをお話になりました。

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第1部は講演。講師は順天堂大学大学院教授の白澤卓二さん。緑陰サロンの案内には次のような紹介文が記されています。

「日本にアンチエイジングの考え方を紹介し、その啓発・普及につとめている。昨年暮れ発刊の『百歳までボケない101の方法』がベストセラーに。この春、『文芸春秋』誌上で行われた日野原重明さんとの対談が話題に」(要点)

主催者が用意したテーマは「ワインで元気に百歳」。もちろん第2部の懇親会にはワインが出ます。

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世界の最高齢者や、日本の百歳以上の長寿者の映像を通して、健康と長寿の秘訣を解き明かしていただきました。山スキーの三浦さん、日本舞踊の板橋光さん、指揮者の中川牧三さん、聖路加国際病院理事長の日野原重明さんらに共通する特徴は、①運動をして足腰の筋肉を維持する、②体重を一定に保つ栄養バランスと自己管理、③たゆまない好奇心・探究心。

栄養バランス、運動バランス、心のバランスが大切ということがよく分かりました。これは、人の健康だけではなく、地域や社会の仕組みとしても応用できるキーワードかもしれませんね。

自ら長野県高山村でワインづくりをしている白澤先生。ワインに含まれるポリフェノールは、抗酸化作用があります。高山村の人たちは長寿因子を持っているのかもしれません。しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。体にいいのはワインに限らず、お酒の飲みすぎには注意ということのようです。

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身につまされるような内容の質疑応答を終え、第2部の懇親会に白澤先生も参加されることに。

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立食パーティーで程よく食べ、ワインをいただいたところで、サキソフォン奏者の日比野則彦さんの登場です。ピアノは、AYAKIさん。

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なんと贅沢な演奏会! お二人への拍手が会場いっぱいに広がりました。

緑陰サロンでは、新たな出会いとご縁もありました。楽しいひとときをともにさせていただいた「元気に百歳」クラブのみなさん、ありがとうございました。

 

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カミナリと雨、その翌日のアブラゼミとユリの花

昨晩のカミナリは、近く遠く稲妻が走り、ゴロゴロが鳴り響きました。1回は20~30秒ほど停電にもなりました。その後の雨で、庭の木々や草花たちはたっぷりすぎるほどに水分補給。

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地面の至るところに小さな穴が開いています。穴から抜け出た主はアブラゼミ。

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ミカンの実も一回り大きくなりました。

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ユリの花が緑の庭に妖しげな真夏の彩りを演出しています。

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母の見舞いと長岡の花火

久しぶりにふるさと長岡の母を見舞いに帰省しました。新潟・福島の記録的な豪雨の直後で、休憩に立ち寄った越後川口サービスエリアから眺めた信濃川の流れは濁ったままでした。

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母は槇山の老人ホーム「けやき苑」にショート・ステイ中。

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母の顔を見るのは6月13日のNSTのテレビの取材のとき以来ですから、およそ1か月半ぶり。

母は2~3日前に少し熱があったといいます。手を握りゆっくりと話しかけるのですが、反応がいつものようではありません。タンの切れもいまいちです。

「つとむらよ、わかる?」と聞いても握っている手に少し力が入るだけです。

目をのぞき込むと、じっと見つめています。

そのうち眠くなるのか目を閉じてしまいます。

スタッフの女性にベッドに移してもらいました。

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田んぼの向こうにふるさとの集落が見えます。

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部活の中学生があいさつしながら脇を通り過ぎていきました。

その日の夜は長岡の花火大会。

長岡空襲の始まったのは昭和20年8月1日午後10時30分から。

戦災からの復興を祈念して昭和22年8月1日、2日に「長岡市戦災復興祭」として復活した長岡の花火。翌年からは、8月1日は戦災殉難者の慰霊を主とし、2日、3日に打ち上げられることになりました(長岡まつりのしおりより)。

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夕日が信濃川に映えるころには、たくさんの見物客が土手の席に陣取りました。

直前までの豪雨にもかかわらず、森民夫・長岡市長は、花火大会の実施を決定し、その準備に全力を尽くしたといいます。開会のあいさつで森市長は、東日本大震災で被災されている方々への連帯と復興祈願、平和へのメッセージを語りました。

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糸井重里事務所のクルーも準備万端。このクルーは前日は石巻にいて、長岡からの復興祈願花火「フェニックス」の打ち上げを中継したといいます。

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長岡の花火を何十年ぶりかで間近で見ました。ど迫力の光と音でした。

翌日の昼近くに、ふたたび母を見舞いに。1時間ほど車椅子の母の手をさすりながら、話しかけました。母は、兄がこの日の朝作ってくれて醤油おこわを2口、ゼリーを5~6口食べてくれました。

「母さん、つとむらよ、ありがとさん・・・また来るね」と話しかけ、ふるさとを後にしました。

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曹洞宗大本山・永平寺に写真撮影に

先日、1泊2日のバスツアーで福井県にある曹洞宗大本山・永平寺へ行ってきました。片道6時間強、600キロほどの走行距離でした。現在、編集中の本のカバー写真を撮影するのが今回のバスツアーの主な目的です。

クラブツーリズムのツアーバスは平塚発。私は本厚木駅で乗り込みました。日曜日の早朝にもかかわらず駅周辺にはいろいろなコースのバスツアーの参加者がバスを待っていました。

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私たちのコースは33名の参加者+添乗員さん、運転手さんの35名。関越道・上信越道・北陸道を経て、金沢の兼六園へ。

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兼六園からの眺望です。

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園内は清冽な小川の流れや苔むした庭園、大きな池が配置されています。季節折々にさまざまに姿を変える様が想像される一度は来てみたかった庭園。加賀百万石の城下ならではの趣とスケールでした。

1泊して翌朝は福井県の東尋坊へ。

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火曜サスペンス劇場や2時間ドラマのロケ地として名高い東尋坊へは、これまで何回か来ています。ドラマの画面では、もっとそそり立つ岸壁に感じられましたが、カメラワークの効果なのでしょうか。

曹洞宗大本山永平寺は、いまから約760年前の寛元2(1244)年に道元禅師によって開かれた座禅修業の道場です。道元禅師は、京都に生まれ、14歳のとき比叡山で出家し、24歳の春に中国に渡り、お釈迦様から伝わった「座禅」という仏の教えを受け継いで日本に帰りました。

はじめ京都に道場を作りましたが、波多野義重公の招きで越前の国(福井県)に寛元元年に移り、翌年永平寺を開きました(永平寺の栞より)。

この波多野義重公は、現在の秦野市を本拠とする波多野氏の流れを汲みます。編集中の「朔北の雲―波多野義重と実朝・道元―」(山田吉郎著)の舞台が福井県永平寺なのです。

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深い山域の中に永平寺の七堂伽藍がたたずんでいます。駆け足で参拝しながらの写真撮影となりました。

今回が3回目の永平寺訪問。200名余の修行僧が日々修行に励んでいる道場。きりりと張りつめた空気が漂っていました。

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屋内、屋外の写真撮影を何とか終えることができました。

復路は、往きとは違う経路です。北陸・名神・東名高速を経て出発地の本厚木駅に帰りました。関東・北陸・中部をぐるりと回った1泊2日のバスツアーでした。

編集中の本は9月に刊行の予定です。

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