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母の見舞いと長岡の花火

久しぶりにふるさと長岡の母を見舞いに帰省しました。新潟・福島の記録的な豪雨の直後で、休憩に立ち寄った越後川口サービスエリアから眺めた信濃川の流れは濁ったままでした。

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母は槇山の老人ホーム「けやき苑」にショート・ステイ中。

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母の顔を見るのは6月13日のNSTのテレビの取材のとき以来ですから、およそ1か月半ぶり。

母は2~3日前に少し熱があったといいます。手を握りゆっくりと話しかけるのですが、反応がいつものようではありません。タンの切れもいまいちです。

「つとむらよ、わかる?」と聞いても握っている手に少し力が入るだけです。

目をのぞき込むと、じっと見つめています。

そのうち眠くなるのか目を閉じてしまいます。

スタッフの女性にベッドに移してもらいました。

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田んぼの向こうにふるさとの集落が見えます。

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部活の中学生があいさつしながら脇を通り過ぎていきました。

その日の夜は長岡の花火大会。

長岡空襲の始まったのは昭和20年8月1日午後10時30分から。

戦災からの復興を祈念して昭和22年8月1日、2日に「長岡市戦災復興祭」として復活した長岡の花火。翌年からは、8月1日は戦災殉難者の慰霊を主とし、2日、3日に打ち上げられることになりました(長岡まつりのしおりより)。

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夕日が信濃川に映えるころには、たくさんの見物客が土手の席に陣取りました。

直前までの豪雨にもかかわらず、森民夫・長岡市長は、花火大会の実施を決定し、その準備に全力を尽くしたといいます。開会のあいさつで森市長は、東日本大震災で被災されている方々への連帯と復興祈願、平和へのメッセージを語りました。

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糸井重里事務所のクルーも準備万端。このクルーは前日は石巻にいて、長岡からの復興祈願花火「フェニックス」の打ち上げを中継したといいます。

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長岡の花火を何十年ぶりかで間近で見ました。ど迫力の光と音でした。

翌日の昼近くに、ふたたび母を見舞いに。1時間ほど車椅子の母の手をさすりながら、話しかけました。母は、兄がこの日の朝作ってくれて醤油おこわを2口、ゼリーを5~6口食べてくれました。

「母さん、つとむらよ、ありがとさん・・・また来るね」と話しかけ、ふるさとを後にしました。

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