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2011年9月

名古木の棚田の稲刈りではじけた笑顔

秦野市名古木の復元棚田では、先週の土曜日にNPO法人自然塾丹沢ドン会の2011年丹沢自然塾「稲刈り教室」を開催しました。

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ヒガンバナが秋空に映える絶好の稲刈り日和。

名古木・深沢のこの棚田は、10年近く耕作ができずに荒れ放題でした。2002年から1年かけて丹沢ドン会のメンバーが雑草を刈り、潅木を倒し、畦を作り、土を耕し、かつてあった棚田7枚を復元し、2003年4月から米づくりを始めたところ。

以来少しずつ周辺の棚田の復元を進め、現在では25枚の棚田でたわわな実りが広がりました。

3月11日の東北大震災、大津波、福島第一原子力発電所事故のさ中も、それ以降の被災地の人びとの悲しみと苦しみに想いを馳せながらも、3月以降、種籾の塩水選、苗作り、田植え、草取り、水の管理と、田んぼ担当のメンバーを中心に半年間にわたる米づくりを行ってきました。

この日は、これまで手間ひま掛けた米づくりの集大成。稲刈りの作業に3歳から80代の老若男女が参加しました。

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さあ、稲刈りの開始です。

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名古木の棚田では思わず笑顔がこぼれます。

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近くの竹林から切り出した竹でハザを作り、天日干しです。

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この後は、脱穀、精米を行って、11月27日(日)には収穫祭を棚田の原で開催します。

ドン会メンバー・自然塾塾生とその家族がそれぞれ1品持ち寄りで、さらに地域の方々も参加してくださいます。恒例のフォルクローレのホンチョスが友情出演し、プロの演奏家の、木下さんのギター、トランペットの渡辺さんも参加していただきます。

収穫祭のころ、棚田の周辺の里山は錦の紅葉が広がります。四季折々にみせる棚田の風景は、まさに伝統的な農村景観そのものです。

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東田原ふれあい農園から富士山の夕景

小田原からの仕事帰り、東田原ふれあい農園で借りている畑に向かいました。この場所から見えるダイヤモンド富士は数日前でしたが、残念ながら曇り空で見ることはできなかったようです。折りしも富士山の頂より少し左手に太陽は沈んだばかり。

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連れ合いが、種から育てた白菜の定植をしていました。

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ダイコン、コマツナ、ミズナ、ニラなどが青々とした葉っぱを広げています。

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食用菊にホジソも食卓に上ります。

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コスモスと夕焼けの富士山。日が暮れるのがずいぶん早くなりました。

秋の夜長に、鈴虫たちが存在感を競っています。

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秋空の元、丹沢ドン会の稲刈り

連休のはざまの9月24日(土)、NPO法人自然塾丹沢ドン会の復元棚田で、稲刈りが行われました。

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米づくり担当の金田さんに、この日の作業内容と注意事項を話してもらいました。

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木下さんと田部井さんに稲刈りと結束作業の見本を示してもらいました。

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稲刈りを始める前に全員集合。

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稲刈り開始。

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田んぼの畦にはヒガンバナが咲き、バッタ、カマキリ、赤トンボ、クモなどが飛び交っています。田んぼの生き物たちの多様性を保ちながら豊かな実りがあります。自然に感謝するひとときです。

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子どもたちは田んぼの生き物探し。

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みんなでやる作業は楽しい。

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先週、刈り取った棚田米。釜で炊き上げた新米のおにぎりが参加者に振舞われました。

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ドン会の畑で栽培した野菜のサラダ、手づくり味噌の味噌汁も女性陣が用意してくれました。

昼食の後も作業はつづきました。

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ハザ掛けして稲を天日干しします。

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3時過ぎにようやく作業を終えました。

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朝9時過ぎから始めた丹沢自然塾「稲刈り教室」は無事終了しました。自然塾の塾生さん、丹沢ドン会のメンバー、子どもたちに感謝です。

秦野市名古木の棚田ではススキの穂が風に揺れていました。

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台風15号の風雨の中、山田吉郎さんが夢工房へ

台風15号の影響で風雨が吹き荒れる中、山田吉郎さんが夢工房へゲラを届けてくださいました。

山田さんは鶴見大学短期大学部の教授として教育・文学研究に携わりながら、自らを「丹沢文学の語り部」として創作活動をつづけていられる方です。

「なかなか時間が取れなくて、届けるのが遅くなりました」

進行中の『朔北の雲―波多野義重と実朝・道元―』の初校ゲラです。

B6判240ページあまりのボリューム。初校ゲラということで、時間をかけてていねいに本文を読み、赤字を入れていただきました。

カバーのデザイン、装丁についても打ち合わせました。3通りのデザインをお届けしておきましたが、その中から1点を選び、さらに主タイトルの文字の色についてもご希望をうかがいました。

「ずっとそばに置いてこのカバーのデザインを見ていて、本のイメージがふくらんできました」

カバーに使った写真は、7月に永平寺に行って私が撮影したものです。

相模国波多野庄に生を受けた坂東武士・波多野義重は、承久の乱において功名を得、京の都の六波羅探題評定衆を勤め、越前志比庄の永平寺に眠っています。

同時代の彩なる糸で結ばれた義重と鎌倉三代将軍・源実朝、越前に永平寺を創建した道元禅師との深い交わりを水墨の絵のように濃淡あざやかに物語りました。

11月半ばには発行の予定で編集作業を進めています。どんな仕上がりになるか、もう一つ山を越える楽しみが待っています。

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南三陸町で出会った人

南三陸町にボランティアバスツアーに行って出会ったご縁の人がいらっしゃいました。

分別作業をしていたときに一人の女性が私たちの作業班に声を掛けてくださいました。今回のバスツアーの主催者で、団長でもある秦野市社会福祉協議会事務局長の大澤康人さんが対応しました。

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この方は、南三陸町歌津総合支所町民福祉課の及川幸子さんです。及川さんを囲んで、小休止の時間にお話をうかがいました。

及川さんは、「震災6か月後もこのような形でボランティアの方々が南三陸町に大勢来ていただいていること、私たちのことを気に掛け、忘れないでいただいていることに感謝します」と何回も話されました。

及川さんは、「南三陸町歌津保健センター」に勤務されていました。津波のときは高台に全員を避難させ、無事でした。しかし、家は大津波に流され跡形もありません。このセンターの周辺で私たちは分別の作業をさせていただきました。

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保健センターの1階の壁に掛かった時計は3時26分を差して止まったままです。

「被災地のみなさんに、これ以上がんばって、とは言えないと思っています。大震災後6か月を経て、いまの南三陸町を目の前にして、復旧復興の進み具合に本当に歯がゆい思いをされているのではありませんか」と私は率直にお聞きしました。

すると及川さんはこう話されました。

「とんでもないです。ここまできれいにしていただいて感謝です。大津波直後のことを考えたら、たくさんの方たちが復旧に従事され、ずいぶん早くここまでたどり着いたと思います」

つづけて話されました。

「この地域の人たちは、震災前からコミュニティーを大切に暮らしてきました。仮設住宅の建設や入居についても行政側としっかりと話し合い、地域のコミュニティーが保てるように、すぐ近くの高台の小・中学校のグラウンドに立てられた仮設にまとまって入っています」

重ねてお聞きしました。「及川さん自身も行政の職員なわけですが、住民としての立場とで違和感はありませんでしたか」

「行政はつねに平等・公平を前面に立てて物事を考えがちです。でも、これまでのさまざまな災害の教訓を生かして、時間がかかっても地域のコミュニティーを大切にすることのほうがよい結果を生むのです。だから、地域住民と行政で時には厳しい話し合いを持ちました」

「復興についても、高台にある地域の共有林地を活用して、集落を復元したいと話し合っています。元いた場所をいつでも見渡せるところで暮らすことができれば、地域のコミュニティも保たれ、安心です」

復興に向けた地域の人びとの熱い想いを語っていただきました。

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及川さんは、昼の弁当を食べているこの日の参加者に感謝のごあいさつをなさいました。

私たちこそ、大地を爪で掻くような本当にささやかな作業しかできませんでしたが、この場に立たせていただいたことに感謝の思いでいっぱいでした。

ありがとうございました。

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南三陸町の地に立って

秦野市社会福祉協議会主催の東日本大震災「被災地支援ボランティアバスツアー」に参加しました。3月11日の大震災以降、これまでさまざまな形でテレビ・新聞などの震災報道がなされました。6か月を経て、実際にその一つの現場に立ってみると、言葉がありません。

被災者のご冥福を祈り、仮設住宅の暮らしを余儀なくされている町民のみなさんの悲しみとご苦労に想いを馳せました。

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1日だけのボランテイア活動。南三陸町歌津福祉センター周辺に積まれた山の分別作業でした。木材やビニールなどの燃えるもの、金属製品などの燃えないもの、ガラスや陶器・瓦・コンクリートなどに分けます。

大津波によって流された日常を物語るさまざまな「もの」が土の中から出てきました。腕時計、懐中時計、コンパクト、食器片、スタンプ台、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉や記念硬貨、フライパン、ファスナー、MD・・・。

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一つひとつの「もの」に一人ひとりの暮らしや物語があり、それらが自然の猛威の前になす術もなく押し流され、切り離され、時間が止まりました。

9月16日現在、1万5,790人の方々が亡くなられ、4,056人の行方不明者があるといいます(朝日新聞)。南三陸町の土の中から出てきた品々は、「ここに命が、暮らしがあったんだよ」と語りかけている、無念の叫びのようです。

1日だけのボランティア活動は、しょせん自己満足。しかし、その場に立って全身で感じた「何か」を糧に、いま仮設住宅や、ふるさとを離れて暮らさざるをえない人びとへの想像力を働かせたいと思います。

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秋色の空にフヨウの白い花咲く

開け放った窓から入る朝の音が微妙に変化しています。セミの鳴き声が弱まり、虫の音色が幅を利かせ、野鳥たちの鳴き声が飛び交っています。

朝、連れ合いが「フヨウが咲いたよ」と声を掛けました。ゴミ出しのついでに庭に回ってみると、ご覧の通り、秋色の空に白いフヨウの花が映えていました。

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ピンク色のムクゲも何度目かの花を咲かせています。青い空はウロコのような雲におおわれ、秋色が漂い始めました。

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地面には赤いミズヒキがひそやかに咲き、サンショウの赤い実がはじけ始めました。

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我が家のミカンも一回り大きくなりました。カキも色づき始めました。味覚の秋の到来です。

秦野市社会福祉協議会の主催で、東日本大震災「被災地支援ボランティアバスツアー」が催され、70名あまりの市民がバス2台で南三陸町へ出かけます。3.11から6か月を経た現場に私も足を踏み入れ、1日汗を流してきたいと思います。

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「省エネ、節電の夏」我が家の場合

いつのまにか9月も半ば、秋風の立つ季節ですが、今週いっぱいは残暑が厳しいとの予報です。信州の高原ではもうコスモスの花が満開。秋はすぐそこまで来ています。

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9月分の電気料金の明細が郵便受けに入っていました。8月11日から9月12日までの33日間の我が家の電気使用料は182kwh。前年同月比で、39パーセントの減少です。

ちなみに、前年同月比の減少(マイナス)パーセントは、5月25%、6月17%、7月21%、8月16%となりました。

省エネ、節電は全国の家庭、官公庁、企業などで鳴り物入りで展開されました。我が家では、キュウリとヤマイモのグリーンカーテンを作り、窓を開けて自然の風を入れ、扇風機やうちわで涼をとることを心がけました。電気の使用をできるだけ抑えた我が家のささやかな取り組みの成果がこれです。

足りない足りないと言っていた東電が、電力各社への融通を経てもまだ相当の余裕があったのには、それぞれの家庭や企業、公共団体などの節電努力と創意工夫の成果とは言え、何か腑に落ちないところがありました。

福島第一原子力発電所の事故以来、自然エネルギーの拡大が叫ばれている一方で、電力業界やそれを支える経済界、一部政治家は、なんとかその動きを抑えるためのキャンペーンを張っているようにも見えます。

マスコミも、政治家の言った言わないの揚げ足取りに終始せず、5年後、10年後、20年後の日本の社会のあるべき姿を描く想像力と具体的な創造の処方箋を出して欲しいものです。

いま、「ドジョウ内閣」の真価が問われています。民主党が掲げてきたマニュフェストも現下の危機的状況に対応して、将来に禍根を残さないために変えるべきところと、変えてはいけないところの峻別が必要。2大政党制のチェック&バランスの妙味を発揮し、社会と時代を大きく転換して欲しいものです。

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『丹沢だより』9月号に「奥野幸道さん追悼特集」

私がお手伝いさせていただいている、NPO法人丹沢自然保護協会の機関誌『丹沢だより』9月号の編集が終わりました。印刷・製本を経て、9月20日に発行の予定です。

今号は、通常号の記事の他に「奥野幸道さん追悼」の特集が5ページにわたり組まれ、中村道也さん、長縄今日子さんなど、ご縁の方から追悼文をお寄せいただきました。

奥野幸道さんと私の関わりは、10数年前のこと。写真家の鈴木澄雄さんとご一緒に川崎にお住まいの奥野さんのご自宅にお伺いしたことに始まります。

1992年に開催した丹沢シンポジウム以来のお付き合いの鈴木澄雄さんの本『丹沢を楽しむ』を夢工房から発行したのは1993年7月のこと。以来、鈴木さんとお会いするたびに丹沢の自然や登山のことが話題に上ります。丹沢登山の大先達である奥野幸道さんのこともたびたび登場していました。

奥野幸道さんの丹沢に関わる写真や書籍などの資料を一度見に行きましょうという、鈴木さんからのお誘いでご自宅の屋根裏部屋にある資料庫に足を踏み入れて驚きました。戦前からの丹沢の資料が整然と保存されていました。

奥様を交えて一献いただいた席では、「何とかこの膨大な資料を生かして丹沢のあゆみを次の時代に残したい」と意気投合したものです。

また、NPO法人化した自然塾丹沢ドン会は、2001年に丹沢シンポジウム「丹沢の先駆者・武田久吉博士と丹沢を語る」を開催し、奥野さんにもパネリストの一人として登場していただきました。

さらに、その後に発足した丹沢資料保存会では、奥野幸道さん、植木知司さん、田中茂さんなどが中心になり、丹沢の自然や登山の資料を散逸させないための保存運動を進めましたが、その隊列に私も加わわらせていただきました。

植木知司さんはすでにお亡くなりになり、本年7月1日、奥野幸道さんも丹沢に還られました。丹沢をこよなく愛された奥野幸道さんの遺志を生かすのは私たちの世代のつとめでもあります。

奥野幸道さん、丹沢の風に吹かれて安らかに!

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「学生たちの太平洋戦争」見本ができました

「学生たちの太平洋戦争―国に捧げた青春の記録―」の「見本」本ができました。B6判246ページ、並み製本カバー装。熊谷眞編著・夢工房発行、定価1470円。

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この本の内容は以下のとおりです。

第1章 学徒出陣

第2章 特攻の主力となった学鷲たち

第3章 軍隊生活の断面

第4章 戦時下の理系学徒

第5章 学徒動員

第6章 台湾少年工と高座海軍工廠

戦後66年を経て、生き残った若者たちが、我が身に背負った声なき声と戦争の悲惨を書き残し、次の世代の若者に伝えずにはおられませんでした。

三省堂書店神保町本店の人文コーナーの担当者からもすでに問合せが入っています。地方・小出版流通センター経由で、まもなく本をお届けできます。

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二宮町で駄菓子屋さん発見!

小田原で仕事を終えての帰り道はいくつかルートがあります。その日は車で国道1号線を二宮へ向かいました。

二宮駅入口を過ぎたところで信号待ちをしていて、何気なく対向車線の家並みを見ると、昔なつかしい風景が目に飛び込んできました。何十回となく往き来している道ですが、これまでは通り過ぎるだけで、気付きませんでした。

とりあえずはその先の信号を秦野二宮線に左折しましたが、ぐるっと回って気になる風景の元に引き返しました。車がやっと通れる路地では、3人のおば様たちが何やら世間話の真っ最中。その先の駐車場に車を入れ、取って返しました。

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「駄菓子・たばこ 萬壽屋」とあります。

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店内は足の踏み場もないほどに駄菓子やオモチャがビッシリと陳列され、天井からはこれまた浮き輪やヨーヨーなどの夏物商品が雨あられのごとく吊るされています。

昔なつかしい子どものころの駄菓子屋さんが、そのまんま21世紀に残っていました。

二宮経由の際の立ち寄り処である酒屋さん「ボン蔵」で、東北・山形の酒「出羽桜・純米酒」を1本買い求めて、何十年もタイムスリップしたような不思議な想いを感じながら我が家に帰りました。

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ふるさとの夏休みの「ドジョウ」と「金魚」

大型台風12号の直撃を受ける四国・中国地域の被害が心配されます。同時に台風の進路以外の各地に大量の雨を降らせています。9月4日に予定されていた秦野市の防災訓練が、この台風の影響で中止となりました。

こんな時は、訓練ではなく本番。朝7時半過ぎから自治会の宣伝カーが、「台風情報にご注意ください・・・」と巡回しています。

開け放った窓から、「ミーンミーン」とセミの鳴き声と、「トーフィ~、トーフィ~」と豆腐屋さんのラッパの、のどかな音が流れ込みます。

ふるさとの夏の終わりは、「ツクツクホーシ、ツクツクホーシ」の鳴き声が告げてくれました。幼いころ、夏は、近くの道満川で川泳ぎをやり、手製の網で魚取りをしました。田んぼの側の小川にはドジョウやナマズ、ライギョ、フナなどがワンサカいて、捕り尽くすということはありませんでした。

川魚は、焼いたり煮たりして食卓に上り、農家の貴重な蛋白源となりました。川魚の淡白さとともにドジョウの泥臭ささが、幼い日の夏休みの味覚でした。しかし、それらの川魚は、高度経済成長期以降、ほとんどその姿を見ることはありません。

夏休みといえば、近所のお宮さんで行われるの夏祭り。盆踊りとヨーヨーと金魚すくいが定番でした。浴衣を着て下駄を履き、水槽にかがみこんで金魚すくい。大きな出目金狙いの手さばきでは、すぐに紙が破れてしまいました。

お盆を過ぎると、休みはあっという間になくなり、宿題の仕上げに余念がありません。遊びほうけていた夏休みを恨めしく感じるときです。ふるさとの夏休みの一駒です。

9月に入ると農家の子どもたちは稲刈り、ハザ掛けの一人前の助っ人となって父母の農作業を手伝いました。時には台風が襲ってきました。台風の目の中に入って生暖かい嵐の前の静けさ。せっかく掛けた稲を全部下ろして台風に備えたこともありました。

夏休みの魚とりで味わったドジョウを、駒形の「どぜう」で一度食べたことがありました。以来、忘れていたドジョウが、いま脚光を浴びています。野田「ドジョウ宰相」の誕生です。

3.11以降の日本の社会は閉塞感を募らせています。ドジョウの粘り腰で、台風一過の秋空のように晴れ晴れとした社会にすることができるのでしょうか。

大震災からの復旧・復興、脱原発・自然エネルギーの再構築、円高・借金経済からの脱却、日本人の生き方・暮らし方の見直し・・・、さまざまな懸案が立ちはだかっています。少しの期待とともに見守りたいものです。

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