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2012年7月

神奈川新聞「紙面拝見」欄に「命を紡ぐ新聞に希望」の記事掲載

7月29日(日)の神奈川新聞「紙面拝見」欄に「命を紡ぐ新聞に希望」という私の原稿が掲載されました。

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この原稿をあらかた書き終え、これから推敲をかけようとしていた時に、ふるさとの兄から「母さんが死んだ・・・」の電話があったのでした。7月23日夕方のことです。

原稿締め切りはまだ先なのですが、翌朝、神奈川新聞社に入稿しました。担当の記者には、「後はお任せします」と電話を入れておきました。

私は文中に、「いじめは大人社会の鏡」と書きました。

亡くなった母の法名は「釈尼美鏡」でした。

偶然とは言え、「鏡」のひと文字が神奈川と新潟で使われました。

天寿を全うした母の命、いじめによる理不尽な暴力によって失われた中学2年生の男子の命。

手を合わせるばかりです。

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母さんが死んだ

7月23日(月)夕方、兄から電話が入りました。

「いま、母さんが死んだ・・・」

と言って、絶句しました。

翌日、午前中に仕事の手配を大急ぎで終え、ふるさと長岡に車で向かいました。兄は、かねてから、自宅から母を野辺送りしたいと言っていました。そのための準備を姉、弟と進めてくれていました。

その晩は、私と連れ合いの2人でロウソク当番です。交代で仮眠を取りながら母のそばに寄り添いました。

告別式の朝、連れ合いから声をかけられました。行ってみると、羽化したばかりのセミが、土間のテーブルの足の部分に止まっていました。

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幼いセミは去りがたいのか、しばらくそのままでした。母が逝き、自然の新しい命が生まれています。

お通夜・告別式と、ふるさとの実家で行いました。扇風機が何台も回っているとはいえ、家の中は酷暑でした。

母は、父のところに嫁いでから私たち子ども5人を生み育て(1人を戦中の食糧不足の中で亡くしました)、農家の暮らしで地域のみなさんとご縁をいただきました。

母の実家のみなさん、存命の弟さん、私たち子や孫・ひ孫、地域のみなさんに囲まれての野辺送り。母・美代子も安心して旅立ちをしたことだろうと、少し胸をなでおろしました。

この日は、姉の長女の長男、つまり、ひ孫の6歳の男の子の誕生日でした。告別式後の「おとき」の席で、急遽ケーキを用意してもらい、サプライズの誕生会を行いました。男の子は、ケーキを食べた後に各テーブルを「ありがとう!」と言って回ってくれました。

「逝くものあり、生まれいづるものあり」

告別式のあいさつで私はハンカチを手にしながら話しました。

「『燈燈無尽』という言葉があります。一つの燈は小さくても、燈はつぎつぎと燈され、尽きることなく世の中を照らします。母が亡くなって、そのことを身に染みて感じました。『そういう生き方を・・・』と母が言っているように思えます」

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告別式の翌日も晴れ渡り、暑い日がつづきました。

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実家から長岡インターまでの農道沿いは、緑のじゅうたんのような農地が広がっていました。以前と少し変わっているのは、所どころに大豆畑の濃い緑が混在するようになったことです。

「母さん、お疲れさまでした。ありがとうございました」

何度も手を合わせました。

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神奈川新聞「読書」欄に西山敏夫さんの『一旦力・セギルベエ!』掲載

7月22日(日)の神奈川新聞「読書」欄に、二宮町の元漁師・西山敏夫さんの『一旦力・セギルベエ!』(夢工房発行、定価1470円)が掲載されました。

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先日、文化部の斉藤記者から掲載の旨の電話が入りました。

この本をていねに読まれた書き手は、文末に次のように書いています。

「漁師にはまた浜や船のうえでの忌み言葉もある。こうした風習を迷妄とみるか謙虚とみるか。おおげさに言えば海や魚への敬意、もっとおおげさに言えば自然に対する畏怖の念から発しているのではないか。

絶品だというマンボウの肝あえ、いちどでいい。食べてみたい」

私もいちどでいいから食べてみたい。ありがとうございました。

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我が家の夏野菜

巨大ズッキーニのことを先に見ていただきましたが、それに懲りたのか(?)、このところ連れ合いは足繁く畑に通っています。

せっかく育てて収穫した野菜たち。食べ残してはもったいない、申し訳ないと、野菜尽くしのメニューが手を変え、味付けを変えテーブルに並びます。時にズッキーニ尽くしの食事はヘルシーですが、量が多ければ元の木阿弥。夏ばては我が家には絶えてありません。

真夏のような炎天がつづいています。この日も連れ合いは、食べごろのズッキーニを収穫するために東田原ふれあい農園の畑へ出かけました。その間、私は仕事で小田原へ。

仕事を終え、二宮経由で帰るときの定番は、秦野・二宮線沿いにある「ボン蔵」酒店。この日は、東北地方の応援のために、浦霞と出羽桜の純米酒を手にして帰りました。

ほどなく連れ合いも大量の夏野菜を自転車の籠に乗せてご帰還。台所で水洗い。

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ズッキーニ、インゲン、オクラ、ナス、シソの葉。

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キュウリ、ピーマン、平インゲン。形は曲がっていても、有機、無農薬の野菜たちはほんとうに香り高く、甘くて美味しい。

食べ切れそうもない我が家の夏野菜。市内に住んでいる娘家族や、娘の友人家族にお裾分けです。

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朝日新聞に漁師・西山敏夫さんの『一旦力・セギルベエ!』の記事掲載

2011年7月14日(土)の朝日新聞に漁師・西山敏夫さんの『一旦力・セギルベエ!』の記事が掲載されました。

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足立朋子記者の西山さんへの取材は1か月ほど前のことでしたが、海の日を控えたタイミングで大きな枠で掲載されたのは、ありがたいことでした。

足立さんは西山さんの思いを次のように書きました。

「西山さんは『本物の漁師の姿も言葉も、このままではすべて消えてなくなる。苦労して漁業を開いた先人に報いるため、日本人がなくしてきたものを後世に伝えたかった』と話す」

その日は朝から、丹沢自然塾「田んぼの生き物観察教室」を秦野市名古木のドン会の復元棚田で行っていて、子どもたちと田んぼの畦を歩き回っていました。その最中にも朝日新聞の読者から本の問合せの電話がしきりに入りました。

横浜・鎌倉・茅ヶ崎・小田原など県内各地から本の申し込みです。夕方、家に戻り、メールのチェックをすると、こちらにも本の注文が多数入っていました。

中には横浜の92歳の男性から、かくしゃくとした艶のあるお声で購読の申し込みがあったり、78歳の著者はお元気ですかとの気遣いや、版元に対する激励の電話もありました。

「紙の本」へのこのような反響に、大いに勇気づけられた1日でした。

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神奈川新聞「紙面拝見」に「地域深耕の種をまけ」の記事掲載

2012年6月24日(日)付「神奈川新聞」の「紙面拝見」欄に、私の3回目の原稿「地域深耕の種をまけ」が掲載されました。

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神奈川の里地・里山・里海などの身近な自然の抱えているさまざまな課題と多様な価値を地元紙「神奈川新聞」に探って欲しいものです。

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びっくりサイズのズッキーニを収穫

東田原ふれあい農園に久しぶりに行った連れ合いが、夏野菜の収穫をしてきました。

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真ん中の小さく見えるのが普通サイズ。しばらく行かない間にびっくりサイズのズッキーニに成長していました。

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インゲン、キュウリ、アスパラガス、ピーマン、ナスなど、夏野菜の収穫に連れ合いは大満足。濃い緑色の野菜が食欲をそそります。

自然の恵みに感謝です。

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楽々山歩き・尾瀬ヶ原へ

長岡高校同期の「米百一俵の会」のメンバー5人で尾瀬ヶ原を散策しました。

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前泊した武尊高原「ペンションてんとう虫」のマイクロバスで鳩待峠まで。

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足どりも軽く、尾瀬ヶ原散策のスタートです。

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尾瀬国立公園の尾瀬ヶ原は、植生保護のため木道が整備されています。

東京電力と環境省がエリアごとに整備しています。木道にはそれぞれ東電マーク、環境省の「環」と、整備の年度が刻印されています。古いものでは「H17」のものがありました。それ以前のものは風化して見分けることができないのでしょう。

ペンションのオーナーの話では、木道の耐用年数は10年くらい。なるほど、と一同帰りのマイクロバスの中で合点。

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木道の至るところに、熊よけの鉦が置かれています。ツキノワグマが出没するのです。

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尾瀬山の鼻ビジターセンターの前を通過。

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目の前の避難小屋の軒下に巣食っているツバメの巣立ちを撮影しようと日参しているカメラマンがいました。

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いよいよ尾瀬ヶ原散策です。

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わずかに残っていたミズバショウ。

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名前を知らない高山植物の数々、ワタスゲ、ニッコウキスゲ、カキツバタやアヤメなどがこれでもか、というほどに目の前に現れ、自然の造形美を堪能させてくれました。

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カキツバタとワタスゲの群落が広がります。

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木道の分岐「牛首」の休憩スポットで水分補給。ボッカの若者が脇を通り過ぎました。

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ペンションで作ってもらった昼の弁当を広げた弥四郎小屋の前からは至仏山が目の前に望めました。今回の楽々山歩きを企画してくれた玉浦さんは、昨夜の酒のつまみのネギ味噌に粉末のダシを加えて即席の味噌汁を作ってくれました。これが美味しい!

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小屋の前の弥四郎清水で水を汲み、後半の散策に備えました。

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ここは福島県桧枝岐村。

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ほどなく新潟県に入ります。標高1400メートル。清冽な只見川の流れに癒されます。

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年代物の看板がありました。

「この地域一体は、昭和35年6月1日特別天然記念物に指定された「尾瀬」です。我国唯一の高層湿原で、高山植物が群生し、学術的にも貴重な国の宝です」

とありました。かつて尾瀬の自然を守るために運動した多勢の人たちや、当時の大石環境庁長官の英断が記憶によみがえりました。

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尾瀬ヶ原散策も後半。東電小屋の前にはボッカの背負子が立てかけてありました。

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西の空の雲が厚くなり始めました。

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多勢のツアー参加のハイカーたちとすれ違います。引率のガイドさんが「こちらで折り返します」と参加者に話しています。

「この先にいいところがたくさんあるよ!」

と言ってあげたいのをこらえました。

山の鼻ビジターセンタに着くと、待ち構えていたように雨が降り始めました。ザックから雨具を出して着用。雨の尾瀬も体験することができました。

鳩待峠で少し雨宿り。間もなくペンションのオーナーがマイクロバスで迎えに来てくれました。片品村の「花咲きの湯」で一風呂浴び、ペンションで夕食をいただきました。

部屋に戻ってからは群馬・福島・新潟の3県を踏破(?)した1日の反省会が果てしなくつづきました。

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楽々山歩きの同行のメンバーに感謝するばかりです。

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ムクゲの花咲く

10年ほど前に我が家の庭に根づいたムクゲの木。土地に合ったのでしょうか、陽の光を浴びて成長し、今では3メートルをこえる大きさになりました。2~3日前から蕾をふくらませ、ポツポツと花が咲いています。

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季節のめぐりを伝え、緑の風を運んでくれる木々の緑。見ていると涼しさを感じます。これも省エネ、梅雨時を過ごす一方法です。

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グリーンカーテンになる予定のゴーヤの花も咲き始めました。

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「しんなら強い」母、奇跡の回復

先週のある夕方、田舎の兄から電話がありました。入院中の母の病状が悪化、担当医からは「今夜から朝にかけてが峠」と言われたのです。

あたふたと準備をして、連れ合いと2人で車に乗り込み、高速を乗り継いでふるさと長岡の病院へ着いたのは、夜11時20分過ぎ。兄がベッドの横で母の手を握り、話しかけていました。

酸素マスクをしている母は、気道確保のために首の下にタオルをあてがわれ顔を少し上向きにしています。代わる代わる声をかけました。母の手を握り、足に触れてみると氷のように冷たい。

口を開け、あごを使い、肩を揺らし上半身で懸命に呼吸しています。看護師さんは言いました。

「いま片桐さんは、100メートルを走っている状態で、頑張っていますよ」

2時間おきに看護師さんは、タンを吸引し、血圧を測り、血中酸素を測り、体位を変えてくれます。胸からは3本のコードが引かれていて、心電図と呼吸のデータがナースステーションへ送信されています。

長岡保養園に入院中の母は、3日ほど前に肺炎にかかりました。それでも前日までは、夕食の流動食を兄の介助でスプーンで口から食べていました。その後のレントゲン写真には、片方の肺は真っ白、もう片方の肺の3分の2に白い影が出ていました。

朝方まで3人で交代で手を握り声をかけながら母を見守りつづけました。

やせ細った母、両の目は小さくなり、手足は骨と皮ばかり。でも懸命に目を広げて私たちを見つめているように思えます。手を握るとわずかに握り返してくれるようにも感じます。

カーテン越しに外が明るくなりました。

6時半過ぎ、私と連れ合いは車で20分ほどのところにある実家に帰り、朝食と風呂をいただきました。折り返し病院へ戻ると、今度は兄が朝食を食べに家へ。その間に弟も埼玉から駆けつけました。

兄と私と私の連れ合いの3人は、子供のころの食べ物や遊びの話をして母に聞かせていました。物が言えない母ですが、私たちの声は聞こえている! と思って話しつづけました。

兄は母の手を握り、髪をなでながら、母に顔を寄せて声を絞り出すようにして言いました。

「母ちゃん、こんな息子でよかったかなあ! 迷惑かけて、心配ばっかりさせたなあ! お前さんのお陰だよ! 元気になって家に帰ろ!」

兄の目から涙がポタポタと落ちました。

もう片方の手を握っていた私の体が震えました。涙があふれて止まりませんでした。連れ合いがそっとティシュペーパーの箱を差し出してくれました。

夕方になると、点滴が効いてきたのか、母の顔色に少し朱色が差してきました。その日の夜は、私と連れ合いの2人で1時間交代で仮眠を取りながら母に寄り添いました。

元来、丈夫な母の心臓が、末期的な肺炎を乗り越えてくれました。

看護師さんは感心するように言います。

「お母さんは、本当に頑張りましたね! 落ち着いてきましたよ」

兄は言います。

「「美代子さんのすっとこどっこい」に、もう一つぴったりの言葉があるね。本当に母ちゃんはしんなら強い!」

兄弟でありながら、「しんなら強い」という言葉をはじめて聞いた私は、意味は分かるものの、「どんな字を書くの?」と思わず兄に聞き返しました。

母の手足に温かさが徐々に戻ってきました。母は、ここぞというときに「しんなら強さ」を発揮して何とか峠を越えてくれました。

兄と交代して実家に行き、風呂を浴び、朝食をいただいて庭に出ると、「ハンゲショウ」の白さが目にあざやかでした。

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母さんを引き戻してくれたなにものかに、感謝するばかりです。

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