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丹沢ドン会の丹沢自然塾「山ろくウォーク&秦野自然教室」開催

ウォーキング日和の10月の最終土曜日に、NPO法人自然塾丹沢ドン会と秦野市の共催で「山ろくウォーク&秦野自然教室」を開催しました。
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この日の秦野市名古木の復元棚田。もみ殻を焼く煙が立ち上る、のどかな風景です。
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秦野市森林づくり課の村上さん、この日のガイド役、まほら秦野みちしるべの会の田村さん、田中さん、井口さん。丹沢ドン会の自然塾生、メンバーの他にも一般参加の9名を交え30名を超える参加者でした。
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歩き疲れる前に元気な姿でまず記念写真。9時15分に名古木の棚田を出発し、バス停「上原入口」への近道を歩きます。
路傍には、「名古木」の地名の由来を表していた庚申塔(東日本大震災で倒壊し、補修のため現在は判読できなくなりました)や地蔵(寛文十年・1670年の銘)・道祖神や、上原の地蔵堂を見て、バス路線(秦野清川線)を藤棚に向かいます。
途中の古道・大山道坂本道の二又にある「道永塚碑」のいわれを聞き、南側の窪地にある水神様へ。
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大正八年(1919年)十月の銘がある「水波之賣神」碑のいわれを聞き、二つの大山道が交わる地点へ。「道標」には、「さ可本」「ミの毛」の文字が読み取れました。
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東小・東農協を経て坂道を下ると、道路わきには馬頭観音群。道路工事などの際にここに集められたもの。その中の庚申塔の一つには天保二年(1831年)の銘があります。
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トイレ休憩に立ち寄った東公民館は「公民館まつり」で大にぎわい。 まほろ秦野みちしるべの会の横山会長、武勝美さんにもお会いしました。
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文化三年(1806年)の銘がある道祖神を経て、源実朝御首塚へ。
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鎌倉三代将軍・歌人の源実朝の事績や武常晴によってもたらされた実朝の「御首」のいわれや、 武常晴の秦野への移住の時期が、子孫による考証によって、従来の説とは違ってきたことなどが話されました。
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西田原反町にある湧水が、地域の人びとによって大切に活用され、維持されていることも知りました。
大山道富士道にあって、かつては宿場町であった上宿の地蔵を経て、葛葉川へと向かいました。途中、高台にある富士山のビューポイントを経ましたが、残念ながらこの日は富士山は雲隠れ。
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予定より少し遅れて葛葉川へ到着。ドン会の小野寺さんが、かながわナショナルトラスト第1号の葛葉峡谷や葛葉川の露頭について解説してくれました。
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くずはの吊り橋を渡り、くず葉の家へ。昼食をとり、1時過ぎから「秦野自然教室」。くずはの家所長の高橋孝洋さんが「緑と水とホタル舞う丹沢山ろくの自然」と題して1時間半ほど講演。
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地球の成り立ち、人類の発生、丹沢の造山運動、秦野盆地に天然の水がめができる仕組みや、盆地の周縁にホタルが発生するいわれなどを、パワーポイントやスケールを使って具体的におもしろく解説していただきました。
生き物たちを、「こいつ」「この子」 と言いながら話しを進める高橋さん。 穏やかな姿から自然や生き物へのこの上ない愛情がうかがわれました。
まほら秦野みちしるべの会の田村さん、田中さん、井口さん、、小野田さん、高橋さん、ありがとうございました。
豊かな水・自然や歴史に囲まれ育まれた秦野。そこで棚田の復元と米づくりに励む丹沢ドン会の活動の意味を改めて認識させられた一日でした。
3時前に終了した「山ろくウフォーク&丹沢自然教室」の参加者は、バスを使って秦野駅へ。私は、くずはの吊り橋を渡って家に帰り、この日のもう一つの集まり、古い友人らとの待ち合わせの新宿へ向かいました。

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