日記・コラム・つぶやき

クラクションが苦手です

クラクションは、私にはあまり縁がありませんでした。クラクションを鳴らす手加減が分からないのです。連れ合いが助手席にいるときに、前後に誰もいない田舎道で、「練習してみたら」と言われて、何度か鳴らしてみたこともあったのですが、思い切り大きすぎたり、音無しだったりで、クラクションを鳴らすのは私、苦手です。もちろん鳴らされるのはもっと苦手ですが・・・。しかし、立て続けにクラクションを鳴らす機会がありました。その顛末・・・。

ある土曜日の午前、私はプリウスを駆って隣町に向かっていました。国道の渋滞を避けようと抜け道の路地を走っていたのです。前方で軽自動車が左方より進入し、私の前を走行しはじめました。まもなく運転席の窓が開き、右手がニューッと出ました。手にはビニール袋が。するといきなりそのビニール袋をポイと捨てるではありませんか! 

私は思はずクラクションを2回鳴らしました。しかし、車は何食わぬふうにそのまま走り続けています。すこし近づいてバックミラー越しにその運転者を見れば若い女性です。

私の鳴らしたクラクションが本人に伝わったのかどうか確認する術はありませんが、公道をゴミ捨て場と勘違いしている「いま時の若い女性」が将来、母となり子どもを育てるときにどのような躾をわが子にするのだろうかと心が寒々としました。

クラクションその2。日曜日の群馬県境の坂道での出来事。

高速道路のインターを降り、私の車は目的地へ向かって順調に走っていました。突然、渋滞に巻き込まれました。のろのろと走行する車の列。しばらくすると、業を煮やした車が違う道に迂回しようというのでしょう、反対車線にUターンし始めました。私の前の車が間を置いて2台、3台といなくなりました。

すると、スカイラインGTRが私の車の前に現われました。スカイラインと言えば、自動車の保険業界では曰く付きの車種だということを聞いたことがあります。助手席の連れ合いと、GTRと私の車の間に「他の車が入って来ないかな」と話していました。いやな予感が・・・。

突然、GTRが音も無く下がってきました。ブレーキ灯も光りません。「おい、おい、おい!」とクラクションを3回鳴らしました。車間距離を4~5メートルとっていたのですが、なす術もなく衝突しました。いくら気をつけていても、あり得ないことが起こったのです。

車から降りてきたのは、30前後の男性。私の車に近寄り「すみません! 私がミスをしました」と頭を下げました。サイドブレーキを引いて車をその場に止め、私も車を降りて前部を確認しました。ナンバープレートとバンパーがグニャッとなっています。

携帯で警察に電話をかけてもらい、路側帯に車を寄せ待ちました。免許証、名前・住所・電話番号の確認、勤め先の住所・電話番号を聞きました。「保険で全額修理費を支払います」とすっかり恐縮しています。助手席にいた女性が外に出てくると、「中で待っていて」と話しかけています。

1時間ほどで警察がやってきました。「警察は事故証明を出すだけ。後は当事者同士で話し合ってください」と言うばかりです。

その後の保険会社との連絡、保険会社からの確認の連絡、修理工場の手配も済み、ひと段落。警察の調べに対しても「坂道発進に失敗しました」と全面的に自分の非を認め、その後の対応にも、「いまどきの若者」とは違う誠意を感じることができました。

2度にわたるクラクション。その手加減を実地に試すことはできましたが、3度目は鳴らしたくないものですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ピンポンパンポ~ン!」の効用

「ピンポンパンポ~ン! こちらは〇〇市役所です・・・」と始まる、防災用の市民への屋外放送が私の住む丹沢山ろくにはあります。先日も、防災訓練が市内各所で行われましたが、市長による「訓練です!・・・」という聞き覚えのある声が秋空にこだましました。

この全市民向けの屋外放送は、本来、緊急時や災害時用の市民への情報伝達のために設けられたものです。地球温暖化の影響を受けたゲリラ的な集中豪雨などの緊急時における一般市民への避難の誘導や情報周知が遅かったり、全くなされなかったりという報道が目に付きます。みなさんの地域にはこのような屋外放送はあるのでしょうか。

地震や豪雨など自然災害がいつ身近なところで起きてもおかしくない今の時代。このような市民への情報伝達の手段の有無や、その仕組みがあったとしても、いざという時に十分に機能するかどうかは、市民の生命・財産を守るという行政の大きな役割の一つだと思います。

今朝もこの「ピンポンパンポ~ン!・・・」という屋外放送がありました。「こちらは〇〇市役所です。行方不明の〇〇さんは、無事見つかりました。ご協力ありがとうございました」というものです。昨夜の「行方不明の〇〇さんに心当たりのある方は、市役所か警察にご連絡ください」という屋外放送の効果がさっそく出ました。

地域に起こるさまざまな出来事、徘徊する熟年者や、遊びに出たまま帰らない子どもたちなど。思いもかけない出来事に、どのように臨機に対応するか、地域の行政と一人ひとりの市民の日ごろの取り組みにかかっています。

登下校の子どもたちの安全・安心のために熟年者による「見守り隊」が朝晩の通学路に出ています。小さなことでも世の中や社会のためになる何かがあるのでしょう。わずかな時間をそのために一人ひとりが使うことが当たり前の世の中は、暮らしやすい地域社会でもあります。

「ピンポンパンポ~ン!」は、そのシステムがいざという時に機能するための日ごろの取り組みの一つであるとすれば、少々のスピーカーの音量は、丹沢山ろくを吹き渡る秋風(?)とも感じることができるのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元気印の地域出版の仲間たち

先日、東京・神楽坂近くの地方・小出版流通センターで、地域出版の仲間たちが集まり、秋のイベントの打合せをしました。この集まりは「首都圏出版人懇談会」といい、その役員会が開かれました。私は事務局を担当しています。

例年、秋の読書週間にあわせて、本の街「神保町」では、ブックフェスティバルが開催されます。回を重ねること18回。今年は11月1日~3日の3日間です。200台ものワゴンがすずらん通りとさくら通りに並べられ、ところ狭しと各社の出版物が店頭販売されます。このフェアばかりは、出版不況の影もありません。

この期間は、「ちょっと汚れていますが 本の得々市」と銘打って、「定価の7掛け、5掛け、夕闇迫る頃にはさらに割引!」という本好きにとってはまたとないブック・フェアなのです。

首都圏懇談会の17の加盟社が持ち寄る本は、人文書・歴史・ガイドブック・絵本などさまざま。地域の本を手に入れるまたとない機会ということで、毎年顔をお見せになる常連さんもいます。版元の編集者にとっても、直接読者のみなさんとふれ合えるいい機会でもあります。文化の秋の一日、ぶらりと本の街にお出かけになりませんか。

この日の打ち合わせは、もう一つ。新宿ジュンク堂のイベント企画の検討です。11月中旬の土曜の午後、トークの会「著者が語る地域・地方出版いま」(仮題)を開催するために準備を始めました。具体的な内容が決まりましたら改めてご紹介します。こちらもお楽しみに。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「満州の孤児たちの物語」上演

昨日(8月19日)、横浜みなとみらい小ホールで「満州の星くずと散った子供たち」の上演がありました。主催は「海老名芸術プロジェクト」で、6月22日にすでに海老名市文化会館音楽ホールで第1回の上演が行われています。

「歌と朗読でつづる小さな命のものがたり」と題した公演の原作は、小田原市在住の増田昭一さんの『満州の星くずと散った子供たちの遺書―新京敷島地区難民収容所の孤児たち』(1998年、夢工房刊)で、これまでもこの本に感動した人たちによって、音楽劇や朗読会が何回か開かれてきました。

その物語の中から題材を得て、「正君の辞世の歌」「僕が生まれかわったら―豊くんの手紙」「星たちのきらめき」などを作曲・ソプラノ独唱で甘利真美さんが、「けんちゃん」「一杯のラーメン」「金のひしゃく」の朗読を劇団東演の南保大樹さんが上演しました。

満州の残留邦人の話題は度々新聞・テレビなどのマスコミに取り上げられますが、生きて帰ることのできなかった孤児たちの想いを伝える作品はこれまで多くはありませんでした。増田さんは自らの体験と、ともに難民収容所で暮らした孤児たちの真実の姿を伝えるために10年前に本書を書き上げました。

この日は、満州から引き揚げてきたという多数の体験者や、物語に描かれた満州の孤児たちと同じ年代の子どもたちも多多勢、来場し、熱心に耳を傾けていました。母親と一緒にきたという小学生の女の子は、すでに原作を読んでいると話してくれました。これからの日本を背負う若者世代にも関心を寄せてくれる人たちがいることに力づけられます。

満蒙開拓団として日本から多くの人たちが大陸に送り出されました。敗戦の後に日本軍はその人たちを守ることなく、敗走しました。戦争で父母を失い、孤児となった子どもたちは多数いましたが、一人ひとりが自分の命としっかりと向き合い、他の孤児たちのためにそれぞれできることを献身的やり終えて命を全うしたのです。

増田さんは一人ひとりの孤児たちの悲痛な叫びを伝えなければと、物語を書きました。1925年8月15日で戦争は終わりましたが、その後に中国大陸で起きていた戦争の悲惨をこれからも伝えていきたいと思います。

いま次の作品を編集中です。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

女子高校生と「野火」その2

「あっ、すみません」

と書いたところで階下から声がかかった。

昨夜遅くまで飲み食い、話し込んでいた娘たちとその連れ合い、その赤ちゃんがようやく起きだし、遅い朝食の用意ができたのです。慣れないブログを書きかけたまま朝食が終わったら書き足そうと思って一時保存してPCを終えたつもり。ところがブログをひらいて見たらUPされていました!?

で、そのつづき・・・。

大岡昇平さんは『野火』のほかにも『俘虜記』『レイテ戦記』など戦争経験者ならではの戦争文学を書き残しています。日本を代表する文学者の一人だと思います。

この女子学生さんは、どなたかにこの本のことを教えられて、さっそく買いに来たのでしょう。ところが、この書店には『野火』の在庫がなかったようです。店員さんの声が切れ切れに聞こえてきました。

「お待たせしました。『野火』は新潮文庫から出ているんですが、いまは在庫がありません。ご注文になりますか・・・」

女子学生の返事は聞こえませんでしたが、帰りがけに私のところまで来て挨拶してくれました。

「先ほどはすみません。ありがとうございました!」

突然の声にびっくりした私は、「あっ、どうも」と答えるばかり。

終戦記念日の翌日に書店員さんと間違えられはしたものの、女子学生がこれからどのように活字と関わり、読書遍歴を重ねていくのか、陰ながら応援したい気持になりました。地域出版に関わるものとして若い世代に活字文化をしっかりと伝えて行きたいものですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

女子高校生と「野火」

今朝は5時半頃に1度目覚めたものの、「クーククックークー」という鳩の鳴き声や小鳥のさえずりを聞きながら2度寝となりました。次に目覚めたのは7時過ぎ。階下に降りて雨戸を開け網戸にすると今朝はなぜかひんやり。温度計は27度でした。どおりで・・・。

昨日の夕方、小田原の書店で高校生と思しき女子学生に声をかけられました。この日は、3週間ほど開催していたブックフェアの最終日。書棚の在庫を確認しながら撤収作業の真っ最中でした。書店員と間違えられたんですね。

「すみません、作者名は分からないんですが、『野火』という本はありませんか?」

『野火』と言えば大岡昇平。若かりし頃に読んだ覚えのある本です。

「その作者は大岡昇平さんですね。いい本ですよ。是非読んでください。在庫があるかどうかお店の人に聞いてみましょう」

と書店さんに引き継ぎました。

「あっ、済みません」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブログ始めます!

5時過ぎに眼が覚めました。雨戸を開けると東の空に朝焼け。朝から気温は30度を越え、間もなくセミがミーミー、シャーシャーと鳴き始めました。あちらこちらから一斉に鳴き競い、いのち短いセミの合唱が・・・。音叉のように重なり合った響きが、一瞬静まりかえるときもあります。

敗戦から63年を経た翌日、初めてのブログを書いています。

丹沢山ろくから日々の出来事や、交友録、本づくりのあれこれを書こうと思います。

どうぞよろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)