編集者日録

『大地の伝言』の著者・大野正夫さん

『大地の伝言~満州・戦争孤児との約束 増田昭一の生涯」を上梓した高知大学名誉教授の大野正夫さん。おだやかな冬の日の午後、小田原・慈眼寺の「カフェ・空」でタウンニュース小田原支社長・野口康英編集長の取材を受けました。

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増田昭一さんは、満州の難民収容所で戦争孤児たちと共に飢えと病気に見舞われました。九死に一生を得て日本に帰ることができた増田さんは、戦後、小学校教師として子どもたちの教育に携わりました。増田さんの脳裏を片時も離れなかったのは、生きて日本に帰還することができなかった子どもたちとの約束「ぼくたち・私たちのことを伝えて!」という悲痛な魂の叫び。それが原動力となって増田さんに夢工房から5冊の物語・絵本を刊行させました。

小田原の酒匂小学校の2年生のとき、増田先生の教え子であった大野正夫さん。自身も満州からの引き揚げ体験者でしたが、そのことを増田先生や級友たちに話すことはなかったと言います。2014年8月に増田昭一原作のTBS終戦ドラマ「遠い約束」が放映されました。そのことがきっかけで、大野さんは級友らと共に増田先生と60年ぶりの再会を果たしました。

増田先生との再会、自らの満州での体験、増田先生の書いた本や絵本を読み、これまでの物語では書かれなかった増田昭一さんご自身の生涯をぜひ本として残したいと大野さんは考えました。本拠地である高知から自身の研究やフィールドワークのために大野さんは月に1度ほど上京、そのたびに増田先生の聞き取りを続けました。1年余をかけて原稿は出来上がりました。

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孤児たちとの難民収容所での生活、ソ連軍戦車隊との磨刀石での肉弾戦、八路軍の医師としての従軍体験、3たび死に直面した増田昭一の満州における過酷な体験と、戦後の教師生活、戦争孤児・子どもたちとの約束を果たそうともがき続けた増田昭一の足跡を大野正夫さんはていねいに描きました。

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落ち着いた静かな空間、「カフェ・空」は、これまでも何回も聞き取りや、本づくりの打ち合わせに使わせてもらいました。この日、増田さんも参加の予定でしたが、少し体調が思わしくなく大事を取ってもらいました。

増田さんの「二度と戦争は!」の思いとメッセージが、次代を担う子どもたちや多くの人びとに伝わるように、この日のタウンニュース社の取材がその一端を担ってくれることを願っています。

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弘法山に朝焼け

台風15号、19号、さらに21号の影響で、列島各地に甚大な被害が発生、幾十人もの命が失われました。ご冥福を祈るばかりです。

雨風のおさまった翌朝、丹沢山ろく・弘法山に朝焼けが広がりました。

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そんな中、『思い出の丹沢の花』の編集・校正作業を進めています。

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発刊できるのは11月下旬の予定、出来上がりが楽しみです。

 

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第145回「夜の会フォーラム」を小田原市民交流センターUMECOで

ひと雨ごとに春が近づくと言いますが、一日中雨の日曜日の夕方、小田原市民交流センターUMECOで第145回「夜の会フォーラム」を開催しました。この日のテーマは「私の宝物~大切にしているもの~」。
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参加者一人ひとりが、「私の宝物」をトークしました。日本温泉学会会長の大山正雄さんの発表。青年期にロケットに夢中になった大山さん。愛読していた古い雑誌を紹介されました。
最後のバッターで、私のトーク。
夢工房の地域出版30年。これまで生み出した数百冊の本とそれに関わらせていただいた作者や関係者がかけがえのない私の宝物。一方で、NPO活動で棚田の復元と米づくりを行い伝統的な農村風景を次の世代に継承する活動を行っています。人と自然の多様性、個性が大切。夜の会のメンバーをはじめ、これまでに出会った人と自然が私の宝物。
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フォーラムの後は、いつもの「うおがし」でトークの続き。酒の肴と美味しいお酒を交えて、さらにそれぞれの「私の宝物」を語り合いました。

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早川紀伊神社の写真撮影

3月2日の土曜日は、午前中、名古木の棚田で丹沢ドン会の定例作業と、この夏開催の「丹沢こども自然塾」の打ち合わせ、さらにハレノヒ保育園の先生と子どもたちの活動現場の確認を行いました。
午後からは、早川漁港近くの「早川紀伊神社」の写真撮影に小田原まで。
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西山敏夫さんの著書「早川紀伊神社の奉納絵馬」の表紙用の写真撮影です。
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境内の社叢は小田原市の天然記念物に指定されています。 クスノキは市内で最大の老木と言います。
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神社の創建は、「神社縁起」によると、貞観年中(859~876年)と言われています。神社は、境内からJR東海道線越しに相模湾が一望できる高台にあります。
昨年秋に旅立たれた相模湾の漁師・西山敏夫さんが記された著書の表紙を飾るにふさわしい写真が撮れたかどうか。波間から西山さんがほほ笑んでいただけることを願って…。

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大山にうっすらと雪

昨日の丹沢山ろくの久方ぶりの恵みの雨は、朝には止んでいました。
午後、仕事で伊勢原の雨岳文庫へ。母屋の西方にでーんとたたずむ大山はうっすらと雪模様。
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陽ざしのある所はぽかぽかですが、山の上は冬。丹沢札掛は初雪で、実質積雪は7センチと言います。程よい雨や雪とはいかないのが自然なのでしょう。

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日本近代史の泰斗・金原左門先生の1周忌法要

雲一つない冬晴れの相模湾を見下ろす墓苑で、日本近代史の泰斗・金原左門先生の1周忌法要・納骨式が行われました。
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ご家族、ご親戚、高校・大学時代の金原先生の教え子たち、 夜の会フォーラムのメンバーなど、金原先生ご縁の方々が参列されました。
法要・納骨式の後は、大磯プリンスホテルからのオーシャンビューを眺めながらのお斎の宴が用意されていました。
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奥様のご挨拶は飾らぬお人柄そのもの。
1周忌法要・納骨式にご参列いただき誠にありがとうございました。生前、金原は、海に散骨してくれればいいと申していましたが、 子・孫のこともあり、相模湾を望めるこの墓苑に巡り合い、お墓を建てることにいたしました。みなさまにお集まりいただき、金原も空の上でさぞかし喜んでいることと存じます。ありがとうございました。時間の許す限り、故人を偲びご歓談ください」
金原先生の高校教師時代の教え子、中央大学時代の教え子たちが、こもごも若き金原左門先生の武勇談を披露。7歳半違いの実弟さんからは、「金原文字」のエピソードが紹介されました。
夜の会フォーラム事務局の小泉さんは、地域の歴史・文化運動の名プロデューサーとしての金原先生の足跡を紹介。私にも一言ということでマイクを手にしました。
「金原先生の原稿の金原文字は、何回も読み慣れると解読できました。古文書を読むようなことではありません。それよりも、校正です。1校、2校、3校、4校、さらに念校に取り組まれる金原先生の執念はすさまじいものでした。修正個所を定規を使って引き出し、びっしりと金原文字で朱を入れられるのです。校正紙が原稿になるというようなこともしばしばで、まさに編集者泣かせでした。
しかし、推敲に推敲を重ねられ、結果として出来上がり、世に問うた金原先生の本の価値は紛れもありません。まさに編集者冥利に尽きるものでした。
また、金原先生がご縁で、高校教師時代の教え子であり、「ポリティカにっぽん」で健筆をふるわれた元朝日新聞記者の早野透さんとの再会も先ほど果たすことができました。金原先生には感謝以外の言葉が見つかりません。
本当にありがとうございました」
懇談の宴の後は、夜の会フォーラムの世話人会も兼ねて小田原駅近くの「うおがし」で、しばし打ち上げ。帰りの電車に乗るころはすっかりと冬の夜の帳が下りていました。

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夢工房の編集者日録

丹沢山ろくの新しい年の朝陽は、弘法山の南から昇ります。
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正月気分を引きずりながら、何かと外に出る機会が多い週でした。
9日:「米百一俵の会」新年会で神田神保町「こんごう庵」へ。
10日:新刊「厚木・愛甲の自然誌」の著者・山口勇一さんと厚木の記者クラブ他へ。
11日:満州からの引き揚げ体験者でもある高知大学名誉教授大野正夫さんと恩師・増田昭一さん宅で編集打ち合わせ。
12日:町田駅で丹沢ドン会のメンバーと懇談の後、自費出版編集者フォーラムの新年会で湯島「ふくろう亭」へ。
14日:「元気に百歳」クラブの会誌「元気に百歳」№20の編集会議を新橋「バルーン」で行ったのち、居酒屋「一丁」で打ち上げ。
新しい年も、腰を据えて編集・出版活動に取り組みます。よろしくお願いします!

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有楽町「レバンテ」で「元気に百歳」クラブのインタビュー

1週間前の平日の午後、有楽町・東京国際フォーラム地下にあるレストラン「レバンテ」で「元気に百歳」クラブの季刊誌「クラブだより」のインタビューを受けました。
年1回発行の『元気に百歳』とのお付き合いは、2005年の6号発行から今秋発行の19号まで、14年の長きにわたります。今回のインタビューの内容は、クラブの会員向け「クラブだより」の2018年冬号に掲載予定です。
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「クラブだより」の井上編集長(右)と、インタビューアーの板倉さん。途中からは、「元気に百歳」クラブ前代表・中西さんも駆けつけてくださいました。
井上編集長との校正のやり取りを経て、1ページの紙面は校了に。どのようなメッセージが会員のみなさんに届くか、楽しみです。

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神保町ブックフェスティバル

第28回神保町ブックフェスティバルが、秋晴れの10月27日、28日に開催され、首都圏出版人懇談会も出店しました。27日の売り子は、まつやま書房、夢工房、助っ人一人の3名。
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天気予報は良い方向に外れたものの、人出は思ったほど伸びません。
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神田神保町すずらん通りに朝8時半に集合してから夜6時まで、売り子の役を無事に果たして、居酒屋へ。
その後、私は夜行バスで秋田へ向かいました。

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カーナビ、スマホで愛川町、相模原市緑区(旧城山町)へ

編集作業中の「自然誌」の本の2回目の校正刷りを持って、著者がお住いの愛川町に出かけました。
お伺いするのは初めてのことで、カーナビに著者の住所を入れて出発。R246から東名高速の側道に入り、見知った道を通りながら、厚木市七沢の小金井酒造の前を通り、「尾崎」の交差点を右折、厚木市街の方向に向かい、しばらくして左折。この後は初めての道。カーナビが威力を発揮し、右左折をくり返しました。
1時間弱で目的地の周辺に到着。小高い里山の坂道でカーナビの案内も終了しました。
折よく、お一人ご婦人が向こうから散歩の途中。「すみませ~ん」と車を降り、地番をたずねました。
「ええっ、ちょっと待って」とご婦人はスマホを取り出し、手慣れたようすで「愛川町田代○○番地は?」と音声入力。
「あそこに見えるお家がそうですね」
カーナビの後はスマホに助けられました。「ありがとうございます」
打ち合わせを終え、昨日掘ったばかりというサツマイモのお裾分けに。著者のご自宅の庭からは、経ヶ岳・仏果山などの山並みがくっきりと見渡せました。
愛川町や周辺の自然の豊かさや厳しさを日常的に観察することから今回の「自然誌」の素材を長年にわたって収集できたのでしょう。著者のご苦労が実感できました。
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「ありがとうございました」と著者とお別れし、つぎに向かったのは相模原市南区、合併前の城山町です。ここでは、40数年ぶりに学生時代の旧友と再会。近くの県立城山公園を散策しながら、40年余の時間・空間を埋めました。

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